こころね

お坊さんに訊く真言宗【仏事・仏具編】~お仏壇のある暮らしで、よき習慣作りを~ 須磨寺・小池陽人さん

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おうちが真言宗の方。
お坊さんがお参りにやって来るとき
何をどのように用意すればいいのか
悩んだりしませんか?

真言宗ファンの方。
お経の中には
一体何が書いてあるのだろうと、
知りたくありませんか?

そんな真言宗迷子のあなたへ
素心がどこよりも分かりやすく
真言宗の仏事や法事の
心得をお届けします。

前編に引き続き
神戸市須磨寺の副住職
小池陽人さんに
たっぷりとお話を伺いました。

前編記事「お坊さんに訊く真言宗【教え編】~煩悩を生きる力に変える真言密教~」がまだの方はこちらから!

真言宗で祀られるご本尊

ー 真言宗でご本尊として祀られる仏さまについてお伺いします。大日如来さま。不動明王さま。弘法大師空海さま。諸仏高僧の中でも、とても華のあるお三方です。

真言宗のお仏壇などで、中央に祀られるのが大日如来さま。この宇宙の全ての根源です。

ー 仏教は、お釈迦さまが説かれた教えをまとめたものですが、真言宗では釈迦如来さまではなく大日如来さまを中心に据えるのですね。

お釈迦さまが悟られた真理は、お釈迦さまが生まれる前から亡くなったあともずっとあるわけで、お釈迦さまの肉体が亡くなってもその真理が失われるわけではありません。大日如来さまは、三世(過去世、現世、来世)に渡ってずーっとそこにおられる仏さまで、お釈迦さまが悟られた真理そのものが大日如来さまだと言えます。

― スケールが大きすぎますね。

真言宗の三尊。中央が大日如来。右が弘法大師空海。左が不動明王。

ー 向かって左側におられるのが不動明王さま。大日如来さまと比べて、なんとも怖い表情をされています。

大日如来さまのまわりにはたくさんのやさしい仏さまが控えていますが、それと同じくらいに怖い仏さまもおられます。その筆頭が不動明王さまです。

ー 手には剣。背中に炎。そしてものすごく怒ってます…。

私たち衆生は愚かな生き物ですから、やさしく説いても言うことを聞かない相手にはお不動さまの出番です。ガツンと怒る父親のような存在と言えるでしょう。右手の剣で煩悩を切り裂き、左の羂索(けんさく:縄のこと)で煩悩まみれの私たちを括りつけ、間違った道から正しい道へと引っ張ってくれます。

ー そして、燃え盛る炎で煩悩を燃やしてくれる?

まさにその通りです。あと、お不動さんの怒りというのは、衆生に対してだけでなく、自分自身への怒りの表れでもあるんです。

ー そうなんですか? 自分自身の何に対して怒っているのですか?

救いたくても救いきれない、自身の力のなさに対してです。

ー めちゃくちゃストイックですね。でも、そう聞くとなんだか親近感が湧いて、より強くお不動さまに頼ってしまいそうです。

お不動さまの意志はとっても頑丈です。必ず岩座に乗っている姿で描かれますが、それこそが、全ての人々を救い上げるという意志の象徴です。

須磨寺の護摩堂。中央には不動明王がお祀りされている。

不動明王

ー なるほどです。そして、向かって右側におられるのが、われらが弘法大師空海さま。真言宗の開祖。日本仏教界随一のカリスマです。

お大師さまを一言で語るのはとても難しいのですが…。真言密教を、その正統後継者として、中国から日本に伝えた方です。お大師さまは本当にスケールの大きな方で、インド的な密教、中国的な密教、そして日本古来のアニミズム。こうしたものを全て包み込んで、真言密教を体系化されました。

ー 最近では俳優の染谷将太さんが演じたり(映画『空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎』)、マンガの『阿・吽』が大ヒットしたり、現代においてもその壮大な存在感がキャラクターとしても愛されています。宗派の開祖を「キャラクター」などと言ってしまっていいのかどうか迷ってしまいますが、現代人の心を掴むだけの教え、生き様、エネルギーを感じます。

前編でもお話しましたが、欲望を生きる力に変える教えを説かれた方ですからね。ちなみに、高野山のキャッチコピー「生かせいのち」はお大師さまの教えに倣ったものです。

ー 命の源泉である欲望を否定せず生かす。お大師さまのエネルギーを端的にまとめた素敵なコピーですね。

私も、このコピーがものすごく好きで、目にするたびに、生きる力をいただいています。

弘法大師空海(画像:Wikipediaより)

禁断のお経『理趣経』

ー 真言宗では、主にどのようなお経が読まれるのですか?

葬儀や法事で必ずお唱えするのが『理趣経』です。前編でお話ししました、真言密教の教えの核となる「煩悩即菩提」が説かれています。

ー 『理趣経』ってたしか、禁断のお経のようなイメージがあるのですが、いかがなのでしょうか?

煩悩や欲望を肯定する教えですから、間違った解釈をされて誤解を生みかねないという点で、取り扱いには慎重にならざるを得ない面はあります。実際に、お経の中で男女の性行為さえも本来は清浄であると説かれています。

ー へえ。そうなのですね。

ここが誤解を生みやすいところです。いわゆる愛欲や性愛というものが全面的に肯定されていると捉えがちですが、決してそうではないんです。人間の生きる根源的な欲は本来清浄であり、だからこそそれを自分本位、エゴのような形にしてはいけないということが説かれています。

ー きちんと修行を積んだ方が扱わないと、なんだか大変なことになりそうですね。

お大師さまも、密教は学問ではないと仰っています。学問に加えて三密修行をしたものでないと体得できないと。まさに理趣経も同じで、中身を読んだだけで体得できるものではないと思います。

私たちが読むべきお経は? 真言は?

ー 素心でも、在家信者が読むべきお経本を販売しており、そこにはたくさんのお経やご真言が書かれています。実際にどれを読めばいいなど、アドバイスはありますか?

その時の時間に合わせて読まれたらいいと思います。時間があればお経本の中身すべてを読めばいいですし、もしも時間がない時は、「般若心経」「光明真言」「御宝号」(南大師遍照金剛)だけでも良いかと思います。

ー オーソドックスな流れとかありますか?

須磨寺の勤行集だとまず「懺悔文」。日々の過ちを懺悔するのですが、これがとても大事です。我々が自覚して犯している罪だけでなく、知らずに犯している罪もある。まずはそれを懺悔します。

ー はい。

次に「三帰・三竟」を唱えて仏法僧を信じることを誓います。続いて「開経偈」「般若心経」「十三仏真言」「光明真言」「御宝号」「回向文」という流れが一般的です。時間がもっとあれば「観音経」などを読んでもいいですね。

これらすべてを読んでも、慣れたら10分程度で読み上げられます。時間がない時は、「御宝号」だけでも大丈夫!

ー さきほどからよく出てくる光明真言とは、一体どんなものなのでしょうか?

光明とは光、すなわち智慧のことです。われわれ衆生がどうして悩み苦しむのかというと無明だからです。

ー 無明。

はい。字のごとく。明かりが無い。つまり智慧という光がない状態のことです。そしてお釈迦様は、智慧がない状態が一番罪だとお話します。

ー どうして、智慧がないのが一番の罪なのですか?

自分が気づかないうちに誰かを傷つけてしまい、その上自分自身の悩みをさらに深めていくからです。

ー ということは、光明真言とは、無明を光明に変えるご真言?

そうです。智慧は闇夜における光明のようなものです。われわれ真言行者は手に五色光印という印を結んでお唱えします。5つの指から五智如来の光が向けられて行く先を照らす。これが光明真言の功徳なのです。

ー なるほど。話を聞くだけでも神々しいです。

人間が持つ5つの欲のことを仏教では「五欲」と呼びますが、それを5つの智慧である「五智」に変えるためのご真言とも言えます。

お線香は3本、焼香は3回 その理由

ー 真言宗では、お線香の本数やお焼香の回数をどのようにしたらよいですか?

一般的にはお線香は3本、そしてお焼香は3回です。

ー 意味や理由などはありますか?

これにはいろいろな考え方がありまして、いずれにせよ「3」という数字が大切です。三密(身口意)、三宝(仏法宝)、三尊(大日、不動、空海)、三世(過去世、現世、来世)、三界(欲界、色界、無色界)など、さまざまな対象に対して香のお供えをすることが、供養につながります。

ー なるほど。いろいろな「3」がありますね。

ただし、意味を考え込むよりも、作法を生かして、供養する想いにフォーカスする方が大事だと考えます。

ー 作法を生かす? 想いにフォーカス?

「これであってるのかな?」と作法に迷いながら拝むよりも、「真言宗はこうなんだ」と決めておくことで、よりしっかりと想いが仏さまやご先祖さまに向かうということです。

ー 作法がはっきりすることで、形が定まり、より心を込めて手を合わせられる。作法や形式には、そういった役割もあるのですね。とても大切なことです。

法事の時に用意しておいてもらいたいもの

ー お坊さんサイドから、「法事の時にこれを用意しておいてもらえればありがたい」というものってありますか?

普段お使いの仏具があれば問題ありませんが、しいて言うならば、普段と違うものとしてお霊供膳を準備してほしいですね。これはすごく大事だと思います。

お霊供膳

ー 仏さまにお供えするお膳ですね。なぜでしょうか?

供養は、その想いを形に表すことに大きな意味があるからです。お霊供膳のお供えを並べるには手間がかかります。でも、その手間暇こそが供養になっているんです。

ー 食べ物をお供えする時って、なんだか本当にそこに亡き人がいるような感覚になりますよね。

そうなんです。本当にそこにいて下さるかのように、作る、盛り付ける、並べる、供える、そして片づける。これらひとつひとつが全て供養につながります。ちょっと手間をかけることで、亡き人の存在感がぐっと近づきます。

ー お供えする方も、手間暇かけたものの中にこそ、想いを込められますもんね。

他に挙げるなら、お焼香のための香炉ですね。

お焼香用の香炉セット

普段のお参りの時はまだよいのですが、法事では必ずお焼香をしますので、まだお持ちでないという方はぜひとも素心さんでご購入を(笑)

ー はい。ぜひ素心で(笑) 実際にお参りしてて、香炉がないおうちも多いですか?

結構おられますね。仮に香炉がなくても、私たちは常に炭とお香を携えていますので、なんとかなります。でもやはり、われわれ僧侶がお線香を立てる香炉と、おうちの方がお焼香をする香炉は、それぞれ分けて準備してもらいたいですね。

ー そう思われるのは、なぜでしょうか?

お焼香は香りのお供えであり、香炉はそのためのお道具。香炉を用意する手間暇もまた、供養につながります。一家に一台あれば充分なので、ぜひともご用意いただきたい。

ー お焼香もただの作法ではなく、香りのお供えなのですね。

はい。だからこそ、お香も自分たちがいい香りだなと思えるものを購入されたら良いですね。気に入った香りを亡き人にお届けすることで、よりよい供養ができるはずです。

お仏壇やお墓のある暮らしの大切さ

ー 最後にですが、『こころね』は仏壇墓石店が運営するメディアです。小池さんのお言葉で、お仏壇やお墓のよさをお話しいただけますか?

お仏壇は、亡き人やご先祖さまをお祀りする場所でもありますが、同時におうちの中のお寺だと思っていただきたいですね。仏道というのは詰まるところ、日々の習慣作りであり、そのために大切なのが祈りです。お仏壇があることで、家のなかに祈りの対象ができます。

ー はい。

だからこそ、「うちは分家だから」「うちはまだ亡くなった方がいないから」などと言わずに、たとえ分家でも、若い方でも、一家にひとつ、お仏壇を構えたらよいと思います。大事なのは形ではなく祈る習慣。安価でコンパクトなものでも構いません。まずは素心さんで手頃なものを買っていただいて、祈りの習慣を持って、日々仏道に努めてもらえればと思います。

ー 「よき習慣は、素心のお仏壇から」ここ、テストに出ますね。

これはお墓でも同じことが言えます。お仏壇もお墓も、故人さまやご先祖さまと対話できる場所です。真言宗では「相互供養」ということを大切に考えています。供養はこちらからの一方通行ではなく、目には見えず、言葉も聞こえないけれど、亡くなった方からのエネルギーを私たちはいただいている。仏さま、ご先祖さまに手を合わせることで、自分たちも生きるエネルギーを得られるということです。そういうご利益、加持感応を、身体で感じられるはずです。

ー 習慣化って、なかなか大変で…。人って、ついつい「面倒くさい」と思いがちですが。

よき習慣作りが生きる支えになるというのをまずは信じていただきたい。やってみないと分かりませんが、やってみることで良さが分かります。お水、ごはん、お花、ローソク、お線香。面倒くさいのはよく分かりますが、その手間こそが、必ず、生きる力、よりどころ、支えになってくれます。やってみると必ず分かる。今お仏壇を持ってない方は、まずすぐに素心さんに行っていただきたい。

ー 今日4度目の素心の宣伝、恐縮です(笑)お仏壇やお墓は亡き人のためだけでなく、自分自身のためあるということがよく分かりました。今日は本当に長時間にわたり、ありがとうございました。


真言宗の仏事や仏具についてお分かりいただけましたでしょうか?

形式や作法にこだわるからこそ、より心を込めた礼拝ができる。そして形あるお仏壇やお仏具をきちんと整えることから始まる祈りという習慣化が、私たちが毎日を元気に生きる支えになることを、分かりやすくお話し下さいました。

須磨寺の護摩堂では、毎月3と8の付く日に、お不動さまの護摩供養が行われています。どなたでも自由に堂内にお参りいただけます。

また、小池さんのYouTubeチャンネルは、登録者が5万人に迫る人気動画です。(令和4年7月現在)。真言宗の教えだけでなく、身近な話題や、門前町の散歩など、さまざまなコンテンツを配信中。

リアルでも、ネットでも、どうぞ須磨寺へお参りください。


大本山須磨寺HP

YouTubeチャンネル「須磨寺小池陽人の随想録」


取材・構成・文 玉川将人

撮影 西内一志