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2024.01.14

真言宗と臨済宗による夢の競演|三者三様の法話会 in 須磨寺

真言宗と臨済宗による夢の競演|三者三様の法話会 in 須磨寺

「禅僧」と聞くと
どこかいかつくて
厳しいお坊さんの姿を
イメージしませんか。

ところがこの日
須磨寺にやってきた
関東を代表するふたりの禅僧
横田南嶺なんれいさんと
細川晋輔さんは
とてもおだやかに
時に笑いを交えて
仏さまの教えを話します。

涙と、笑いと
ことばにならない頷きに
満ちあふれた
「三者三様の法話会」

真言宗と臨済宗の
夢の競演を
こころねが
独占レポートいたします。

横田南嶺師と細川晋輔師

令和5年9月2日。未だ残暑厳しい日差しが照り注ぐ大本山須磨寺に、たくさんの仏教ファンや法話ファンが詰めかけました。

お目当ては須磨寺の小池陽人さんだけでなく、この日のスペシャルゲスト。横田南嶺さんと、細川晋輔さんです。

ここで簡単におふたりをご紹介。

横田南嶺さんは、鎌倉に本山を構える臨済宗円覚寺派の管長(宗派のトップ)で、花園大学の総長をも務める令和を代表するお坊さんです。

多数の著書やメディア出演だけでなく、毎日継続しているコラム、「voicy」による音声配信など、出家在家問わず多くのファンがその教えに耳を傾けます。

横田南嶺老師

細川晋輔さんは、野沢龍雲寺(臨済宗妙心寺派・東京都世田谷区)の住職。スタジオジブリの鈴木敏夫さんとの交友や、NHK大河ドラマでの仏事指導などの実績で知られます。

祖父は、臨済宗妙心寺派教学部長を務め、仏教書ブームの先駆けとなった『般若心経入門』の著者である松原泰道たいどう師。まさに臨済宗のサラブレッドとして活躍されています。

細川晋輔師

横田さんも細川さんも小池さんも、それぞれYouTubeで活動をしていることもあり、WEB上でも積極的にコラボをし、2022年12月には鎌倉円覚寺にて初の三者によるリアル法話会を開催。その第2弾が須磨寺で行われることと相成ったのです。

当日の青葉殿は超満員。関西では普段なかなかお目にかかることのない、しかも宗派の異なる高名なお坊さんを一目見ようと、たくさんの善男善女が須磨寺まで足を運びました。

まずは全員でご本尊に向けて般若心経を読み、いよいよ宗派を超えた夢の共演がスタートします。

見える景色すべてが宝物になる~小池陽人さん~

トップバッターを務めた須磨寺の小池陽人さんは、ふたりのおばあさんとの別れを通じて、幸せに生きていくために大切なことを私たちに投げかけます。

須磨寺を裏方となって支える奉仕講「SMD75」(ちなみに75とは平均年齢とのこと)。101歳で亡くなったお檀家のアサコさんもメンバーのひとりで、いつも前向きな言動でまわりを明るくしてくれました。

そんなアサコさんがじつは過酷な生涯を送っていたことを、小池さんはお葬式の枕経の席ではじめて知ることとなります。

幼くして母を亡くし、継母に育てられ、戦争では大空襲で家を失ったアサコさん。晩年も脳梗塞を患ったご主人を20年にもわたり介護し続けたのだそうです。

そんな苦難続きの人生でも、アサコさんの口癖は「私は幸運やわ、ラッキーやわ」でした。

「新しいお母さんが私をちゃんと愛して、育ててくれた」
「大空襲があったから、須磨に引っ越してきて、すてきな人とたくさん出会えた」
「介護生活のおかげで、主人とともに長い時間を過ごすことができた」

人は受け入れ方ひとつで幸せになれることを示してくれたアサコさんの生きざまに、小池さんは弘法大師空海のことばを重ねます。

心暗きときは
すなわちところ
ことごとくわざわいなり
まなこ明らかなれば
みちに触れて 皆宝なり

(筆者訳)
心が悩みふさがっているときは
出会うものすべてが災いに見える。
智慧の目が開いていれば
見える景色がすべて宝物となる。

そして、もうひとりのおばあさんとは、小池さんの父方の祖母。なんと法話会当日の午前中に、三回忌法要を営んだばかりだったそうです。

小池さんは、認知症を患っていた亡きおばあさんに対して抱いていたうしろめたい感情を、聴衆に吐露します。

いつだって会えるのに、忙しさを理由に会わずにいました。多分私のことを分かってくれやしないだろうと思い、どう接していいか分からないという想いがあったのです。

それでもいよいよ危篤となった時、小池さんは時間の合間を縫っておばあさんに会いに行きます。「おばあちゃん!」という呼びかけに対して、寝息を立てていたおばあさんはゆっくりと眼を明けて、にこっと笑みを湛えてくれました。

この時、小池さんの中から湧き上がったのは、幸せな気持ちと激しい後悔でした。どうしてもっと早く会いに来なかったのだろうかと。

小池さんの脳裏に、修行時代の師匠のことばがよみがえります。

人生は、手遅れのくり返しだ。

人生は、手遅れのくり返し。だからこそ、いまを後悔なく生きなければならない。小池さんの声は、聴衆一人ひとりに向けて、切実にそのことを訴えていました。

法話とは、僧侶が衆生に向けて説く仏さまの教えのことです。しかし、小池さんはいつだって、上から教えを説くのではなく、聴衆と同じ目線に立って、誠実に一言一句を発します。

まずは自らが不完全であることを認め、修行中の身であることを素直にさらけ出す。そして、まわりの人たちから得られる教えや気づきを謙虚に受け入れて、現在進行形で自らを磨いている姿を包み隠さず示す。この姿勢が、小池さんのなによりの魅力です。

謙虚であるからこそ、ふたりのおばあさんが教えてくれたことが、そのまま仏さまの教えとなって輝きを放ちます。これこそがまさに、お大師さまの説くところの「眼明らかなれば、途に触れて皆宝なり」なのでしょう。

小池陽人さんの法話の全編は、こちらから視聴できます。

声なき声に、耳をすませば~細川晋輔さん~

おだやかで、おっとりと、ユーモアたっぷりの細川さんの語り口。冒頭は軽妙な話で笑いを取りつつ、須磨寺ならではの話題として、松尾芭蕉の句碑を取り上げます。

須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇こしたやみ

俳句に疎い私の頭の中は「?」だらけでしたが、細川さんの分かりやすい解説が、芭蕉の世界をより深く堪能させてくれます。

「吹かぬ笛」とは笛の名手だったと言われる平敦盛が手にしていた青葉の笛、そして「木下闇」とは夏木立が鬱蒼と生い茂って、昼間でも暗くなっている木蔭を指す夏の季語です。

須磨寺境内にある芭蕉の句碑

ちなみに、青葉の笛は弘法大師空海が唐より持ち帰ったもので、嵯峨天皇に献上されたのち、皇室から平家へ、そして敦盛の手に渡り、いまでは須磨寺の宝物館に展示されています。

青葉の笛(画像は須磨寺HPより)

さまざまな古戦場に赴いてはいにしえつわものたちの姿を目に浮かべてきた芭蕉。須磨寺に立ち寄り、青葉が生い茂る木下闇で涼をとる芭蕉の耳には、熊谷直実に討たれた敦盛の、いまとなっては吹かれることのない笛の音色がこだましたのでしょう。

須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇

細川さんの話のおかげで、芭蕉の俳人としての才覚と、亡き人を偲ぶ深い詩情を味わうことができました。

そしてここから、細川さんによる本当の意味での法話が始まります。

源平の時代を生きた敦盛と、江戸時代に諸国を遍歴した芭蕉。時代を隔てた先人たちの物語の中に、細川さんは仏教の教えを見出すのです。

細川さんはまず、「木下闇」ということばに着目します。

木下闇とは、樹木が作り出した蔭のこと。これに「お」と「さま」をつけることで、「おかげさま」という感謝を示すことばになります。

「言われてみれば!」と膝を打ったのは私だけではないでしょう。

直射日光を遮ってくれる木下闇は、夏の暑さにうだる私たちにとってのオアシスです。涼をとり、心静かに落ち着けられるからこそ、芭蕉も、敦盛の吹かぬ笛の音に耳を傾けることができたのでしょう。

「吹かぬ笛」とは、いわば亡き人の“声なき声”です。この“声なき声”を聴ける木下闇は、身のまわりのいたるところにあります。

お寺、お仏壇、お墓、亡き人とともに過ごした思い出の場所…。細川さんが示すこうした場所は、たしかに亡き人と向き合えるだけでなく、日常の喧騒から少しだけ離れて自らと向き合うことのできる“心のオアシス”にもなってくれます。

そして細川さんは、さらに話を一段と深めて、「おかげさま」という気持ちがあれば、私たちもだれかの木下闇になれるのだと説き、祖父・松原泰道さんとの思い出を交えて、次のように話します。

おじいさんは、「花咲かじいさんお釈迦さま」ということばをとても大切にしていました。仏さまの教えを説かれる方は花咲じいさんのようであると。心がイライラした時や、悲しいことがあった時、それはまさに冬枯れの木のようですが、横田管長さまや陽人さんのようなありがたい仏さまのお話を聞くことで、心の中に花を咲かせることができる。やがてそれは青葉となって生い茂り、だれかのための木下闇になれるんです。

芭蕉の句の奥深い世界を示し、そこに「おかげさまの生き方」へと話をつなげていった細川さん。最後は亡き祖父の声なき声に耳をすまし、そこから聴こえてきた大切な教えを、私たちに届けてくれました。

この記事では書ききれなかった祖父・松原泰道師との思い出も含めて、ぜひとも全編を動画で見てほしいと思わせるすばらしい法話でした。

細川晋輔さんの法話の全編は、こちらから視聴できます。

じっと話を聴くとき、誰もが観音さまになっている~横田南嶺さん~

大切な方との別れ。声なき声を聴く木下闇。両者の法話を受けて、いよいよ横田さんが登壇します。

「いやあ、おふたりのすばらしいお話でした」と小池さんと細川さんを讃え、「トリだからと言って、すばらしい話が聴けると思うのは、思い込みです」と場内を沸かせながら、「さあて、今日は何の話をしましょうか」と、壇上で思案する横田さん。なんと、何を話すか事前に考えることなく登壇した模様です。

そうやって、場内の空気がだんだんと温まってきたところで、法話のテーマを「観音さま」に定めていきます。

これを聴いた瞬間に、筆者は横田さんの凄みに息を呑みました。

なぜなら、須磨寺の御本尊は聖観世音菩薩ですし、「大切な方との別れ」「声なき声を聴く」というテーマを引き受けるべき仏さまは、「音を観る」観音さまにおいて他にないからです。

語り口は悠長にして洒脱、常におだやかにほほえみながら場内を遊泳し、気づくとお見事なテーマ設定。開始わずか数分でいきなり聴衆の心を掴んでしまった横田さんは、まるで即興ライブのフリーセッションを楽しんでいるようにも見えました。

だれもが持つ生きる苦しみ。この苦しみを軽くする第一の方法は、人に話を聴いてもらうことなのだと、横田さんは話します。

だれかが言っておりました。うれしいことは、聴いてもらうと倍になる。悲しいことは、聴いてもらうと半分になる。

観音さまは「子母観音」や「慈母観音」などと、日本では母性の象徴として親しまれています。それは、赤ん坊をあやすときの母親の慈しみ、思いやりの心が、観音さまの教えそのものだからです。

赤ん坊をあやしている時のお母さんは、だれしもが観音さまでございます。

横田さんのやさしい語りが、聴衆の心の奥深くに、じんわりとしみわたっていくのを肌で感じます。

赤ん坊はことばを発することができず「おぎゃあ」と泣くだけです。でもお母さんは、わが子の泣き声(=音)から、その心を観ることができる。同じように、人の話を親身になってじっと聴いてあげる時、だれもが観音さまになっているのだそうです。

「ああそうか」「よかったな」「困ったな」これだけでいいんです。余計なことばは挟まず、とことん親身になって話を聴くことが大切です。

悠長で洒脱だった横田さんの語り口は、気づくと力強い仏さまの教えとなり、会場はしんと静まり返り、足元から湧き上がるあたたかい空気が体中に満ちあふれるのを感じます。

横田さんがすごいのは、場内の空気が緊張しだすとすぐに緩め、緩みすぎるとすぐにまた引き締める、それを台本なしでいとも簡単にやってしまえるところです。その押し引きに魅了されながら、あっという間に時間は過ぎ、時計の針は14時40分。開演から1時間40分にもなります。

横田さんによる締めのことばです。

みなさま。1時からじーっと、話を聴いておられます。観音さまは、どこにいらっしゃいますか?

緊張の糸をゆるめ、どっと会場を沸かせ、心あたたまる即興法話を、見事なオチとともに締めくくったのです。

横田南嶺老師の法話の全編は、こちらから視聴できます。

笑いと金言あふれるそれぞれの個性

それぞれによる法話のあとは、3人が揃って登壇し、鼎談へと移ります。

細川さんのお見事な仕切りの中で、会場からの質問に横田さんと小池さんが答えていきます。

「毎朝のルーティンは?」
「ジブリで好きな映画は?」
「ネガティブな人との付き合い方は?」

お三方の異なる個性が織りなす至福の時間。笑いと金言あふれる貴重な鼎談の模様は、ぜひともYouTubeチャンネル『小池陽人の随想録』にてご覧ください。

鼎談の全編は、こちらから視聴できます。

「あの横田猊下と細川さんが須磨寺に!」

この一報を聞いたときは胸が踊る思いがしましたが、普段関西ではなかなかお目にかかることのできないおふたりを招いた法話会は、予想を超えてすばらしいものでした。

臨済宗の高僧を同時に2人も招くことができた小池さんの人徳、細川さんの抜群のユーモアと安定感、そして余裕と貫禄の横田さんの語り口。来場されていた人たちも、仏教の奥深さ、ありがたさ、面白さを満喫できた様子でした。

小池さんだけでなく、横田さんや細川さんも、それぞれがYouTube動画を通じて、仏さまの心について発信されています。また細川さんと小池さんによるコラボ「寺子屋ラジオ はじめての般若心経」もおすすめです。

どうぞこちらにアクセスして、仏教の魅力に触れてみて下さい。


▶横田南嶺老師
大本山円覚寺公式ウェブサイトはこちらから
ブログ『管長侍者日記』はこちらから
YouTubeチャンネルはこちらから

▶細川晋輔師
野沢龍雲寺公式ウェブサイトはこちらから
YouTubeチャンネルはこちらから

▶小池陽人師
大本山須磨寺公式ウェブサイトはこちらから
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取材・構成・文 玉川将人

 

 

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