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コロナ禍のお葬式が教えてくれた“つながる”ことの意味|“もう一度会いたいお坊さん”に会いに行く旅【田中宣照さん】
生きている時よりも
亡くなってからの方が
身近に感じる故人さま。
遠くに行ったはずの人が
なぜかそばにいる気がする。
コロナ禍のお葬式が教えてくれた
人とつながること。
仏さまとつながること。
心あたたまる
実直で、丁寧な法話は
H1法話グランプリの会場に
駆けつけた人たちの胸を
静かに打ちました。
H1の舞台に立つまでの
意外な経緯。
そして人はどうして
つながりを求めるのか。
2021年大会で
審査員特別賞を受賞した
田中宣照さんに
直接、お話を伺いました。
なんでオレ、こんなとこにおるんやろ?
ーーH1法話グランプリ2021で、見事に審査員特別賞を受賞された田中さん。H1の舞台をどのように振り返りますか?
「なんでわたしが」というのが正直なところなんです。「なんでわたしがH1の舞台に?」「なんでわたしが受賞を?」本番直前の舞台袖でも「なんで、いまこんなとこにおるんやろ?」という、ふわふわした心地で出番を待っていました。
ーーそれはとても意外です。多くの方に仏法を広めたい、布教師としての力を試したいなどの想いを持たれていたのかと。
そうした想いもないわけではありませんが、H1のような注目を集めるイベントはわたしのフィールドじゃないと、いまでも思っています。わたしは伝統的な真言宗の布教師です。真言宗のお堂で、お檀家さんやお参りの方に法話ができれば充分なんです。
田中宣照さん(西室院住職・神戸市・真言宗)
素心『こころね』が独自に作成した2021年大会の記念誌をめくり、「あの時を思い出すなあ」と田中さん
ーーではなぜエントリーを?
このすばらしい企画を盛り上げたい。後輩のチャレンジを後押ししたい。このふたつでした。H1はもともと宗派内の取り組みで、栃木県で始まった企画を兵庫県でもやろうと持ち込んだのが、須磨寺の小池陽人さん。そしてその時、兵庫県下の高野山真言宗青年教師会の会長をしていたのがわたしでした。彼が「先輩、こんなのどうですか?」と。
ーーなるほど、H1の前身となる取り組みに、田中さんも関わっておられたのですね。
おもろい企画やなあと思って、早速開催してみると、とても素晴らしい研修会になり、満足しました。
ーーその成功は、超宗派へと大きく展開していきます。
ところが、「超宗派となるとちょっと違うぞ」という気がして、当初わたしは反対してたんです。
ーーそれはどうして?
宗派をまたいで規模が大きくなるとさまざまな調整が必要になるでしょうし、賛否両論が起きそうでしたから。でも、小池さんは突き進んだ。そうか、行きよったかと。やるとなったら、わたしに何ができるか。いろいろ考えた末に、自分も応募することだろうと思い至り、予選会に法話のビデオを送りました。そしたらなんと予選会を通過してしまった(笑)
ーーしかも、最終的には審査員特別賞まで受賞されました。
そういう経緯でしたから、ありがたいものの、まさか自分が受賞するとは、というのが正直なところなんです。
審査員特別賞を受賞した田中さん。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文さんからトロフィーが授与された。
コロナ禍のお葬式が教えてくれたこと
ーーH1の舞台で、田中さんが取り上げたテーマは、「コロナ禍のお葬式」でした。
そうですね。
ーー満足な送り出しができないことに対して、社会も大きな関心と不安を抱いていました。審査員の露の団姫さんも、「むずかしい話題をあえて取り上げた」と、田中さんの勇気を讃えます。
むずかしさや勇気のようなものは特に感じていなくて、むしろ、コロナ禍の真っ只中での法話イベントでお坊さんが話すべきは、コロナで亡くなられた方の御霊の話かなと。伝えなくちゃいけないことだとは強く思っていました。
「大切な方を亡くしたあとの方が、その存在をより身近に感じられる」と話すお檀家さんの姿に、自身と亡き父の関係を重ね合わせた田中さん。一語一語を丁寧に語った。
ーー法話の中で語られたお檀家さんについて、少し詳しく聞かせてもらえますか?
このおうちは、お父さんを神戸の震災で、そしてお母さんをコロナで亡くされました。お父さんの時は先代の父が避難所でお葬式をしたそうで、娘さんにとっては、ご両親とも特殊な状況でのお別れとなってしまいました。
ーーそんな特殊なお別れであっても、「遠くに行ったはずの母が、そばにいる気がした」というお檀家さん。満足なお別れができない中で、どうして亡きお母さまを身近に感じられたのだと思われますか?
こうした感覚って、人によって個人差があるので、一概にこうだとは言い切れません。でも、このお檀家さんの場合は、生前の親子関係がとっても密でした。実際に、娘さんはものすごく一生懸命お母さんの介護をなさっていましたからね。だから、目に見えなくなってもお母さんという存在がそばにいられたのではないでしょうか。
ーー四十九日法要の時に田中さんは「故人さまはそばにいてくれていますよ」と声を掛けたそうですね。その時のお檀家さんの反応は?
49日という時間の経過を通じて、お母さんの存在をより身近に感じられて、安心していたのではないでしょうか。その後の供養を通じても、お仏壇を拝めばそこに亡き人が降りてきてくださっているという感覚を持たれているように見えますね。
亡き父に祈り、祈られている
ーー田中さんは、お檀家さんの姿に、亡きお父さまを思い出します。
そうですね。
ーー田中さんも、お父さまと密な関係だったのですか?
うちは密なんてもんじゃないですよ。男同士ですしね。
ーーでも、田中さんの法話からは、お父さまへの親しみのようなものを感じました。
それはきっと、亡くなったあとだからでしょう(笑)厳しい父でしたよ。お寺に生まれたわたしにとって、父は師匠でもありましたから。亡くなる10日前くらいまで、えらい怒られていました。お前はここがあかんのや、と。
ーーどんな師匠でしたか?
お檀家さんに対してはとにかくマメ。でも言わなければならないことはきちんと言う、いわゆる厳しいお坊さんで通っていたと思います。かと思えば、ハーレーダビッドソンに乗ったり、とんでもないジープに乗ったり。繊細かつ豪快、とにかく魅力的な人でしたね。
ーー厳しい父であり、尊敬できる師匠だったのですね。
父も布教師をしていましたけど、まあ喋りがおもしろい。そして原稿もおもしろい。たまに父の法話の原稿を見ては、おもしろいなあと笑って、使わせてもらっています。
「父のために、父のためにと祈っていたのですが、むしろ、父がわたしを祈って下さっているというような安心感に包まれる。こういう感覚に、徐々に変わっていきました」(田中さんの法話より)
ーー魅力を感じさせる印象的なエピソードはありますか?
阪神大震災の時、お寺が一瞬でつぶれて、みんなが呆然自失の時に、「みんなが生きとってよかった」とすぐ言えちゃうような人なんですよね。そして、わたしたち家族を置いて、自転車にまたがってどこかに行こうとする。行き先を聞くと、「檀家さんが心配だから見てくる」と。そして帰ってきて開口一番、「復興には、物心両面の復興が必要だ」なんて言ってました。
ーー震災直後、だれもがパニックの時ですよね。
そうなんです。でも、父には復興の姿がもう見えていたのでしょうね。そういう明るさ、心強さみたいなものが、魅力でしたね。
つながっているのが本当の姿
ーー「父への祈りを通じて、やがて父からの祈りを感じるようになる」という田中さんの法話がとても印象的です。お父さまは、いまも田中さんのそばにおられるのですね。
そうですね。法話の時も、「一緒に喋りましょう」と、ふたりで話している感じがします。
ーー「同行二人」とは、いつもお大師さまと一緒、という意味です。わたしたち人間は、家族、友人、恋人、さらには仏さまやご先祖さまと、「つながりたい」と欲求する生き物です。どうしてなのでしょうか?
自分の中には答えがあります。それが「本当の姿」だからじゃないでしょうか。
ーー本当の姿。シンプルにして、とても深いですね。もう少し具体的に伺いたいです。
つながっている方が幸せで得だ、つながっていない方が不幸で損だ、とかじゃないんです。人は本来ひとつにつながっているものだから、その本来の自分に立ち返りたがっているんだと思います。すべてのものがつながっているというのは、お釈迦さまの「縁起」という考え方にもありますし、真言密教でもすべてのいのちは切れ目なくつながっていると考えます。
目には見えないけれど、そばにいて下さる。この気持ちの究極を、高野山真言宗では「同行二人」と申します。(田中さんの法話より)
H1で気づかされた宗派を超えた共通点
ーー田中さんご自身は、H1に出場したことで、どんなことを得られましたか?
自分の枠、宗派の枠を押し広げることの大切さに気づきました。たとえば、わたしのあとに登壇した舟川智也さん(浄土真宗本願寺派・両徳寺)の法話からは、学ぶものが多かったですね。
ーー真言宗の僧侶から見た浄土真宗。とても興味深いです。
真言宗のスタイルは、僧侶が衆生に教えを説くというのが基本。でも、舟川さんはきちんと聴衆に目線を合わせて法話をされていました。浄土真宗のあのスタイルには驚きました。聴衆に寄り添う、共感する、心中を代弁する、しかもそれを1千人近くの聴衆を前にしてできちゃうんですから、すばらしい法話だったと思います。
ーー超宗派のH1に参加したからこその気づきだったのでしょうね。
そうですね。H1を終えたあとの約1年間、舟川さんに影響されて浄土真宗について勉強しましたからね。
ーー勉強される中で、宗派を超えた教えの共通点など、ありましたか?
悟った者の教えを説く弘法大師と、悟らざる者の教えを説く親鸞聖人では、たしかに違いはありますが、似ているなと思うところもたくさんあります。たとえば、真言宗では供養する側とされる側が平等だと考えられていて、これを「相互供養」と言います。これは、衆生は阿弥陀如来に念仏し、阿弥陀如来も常に衆生の救いを願われているという浄土真宗の「往相還相」という考え方にものすごく似ています。
ーー逆に舟川さんも、法話の最後を「仏さまとふたりで歩む人生」と締めくくっていました。
浄土真宗の教えから見ても、真言宗の「相互供養」や「同行二人」に重なるところがあるのですね。
どうか、この国で、長い間培われてきました、ご先祖供養による心の支えを大切にお過ごしいただければと思います。(田中さんの法話より)
法話で語るべきは救いと希望
あとは、袈裟や衣のおかげで法話を話せているんだということを実感させていただきました。
ーー袈裟や衣はお坊さんが着用する衣装のことであり、長い時間をかけて積み上げられてきた仏教という伝統の象徴でもあります。
H1で感じたことは、いまの時代でもお坊さんの法話は求められているんだということ。奈良のラジオ番組にゲストで呼ばれた時、サテライトスタジオでの放送だったのですが、通りを行き交うたくさんの人たちが、袈裟姿のわたしを見るだけで手を合わせて下さいました。わたしたち僧侶ももう少しこの袈裟と衣に自信を持たなければなりません。
ーー2500年もの長い時間、人々の苦しみに寄り添ってきた仏教だからこそ語れるものがありますよね。
はい。やっぱり法話で話すべきことは救いや希望。いまの人たちが求めている救いや希望を、お坊さんが語ることに意味があるし、お坊さんこそがその旗印にならなければなりません。H1の舞台に立てたからこそ、そのことに気づかせていただきました。
▶H1法話グランプリ公式サイトはこちらから。
▶田中宣照さんのお寺・西室院(神戸市・真言宗)のウェブサイトはこちらから。
▶素心『こころね』による2021年大会レポート記事
『762組もの仏縁がつながる日-「H1法話グランプリ2021」現地レポート』
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取材・撮影・文 玉川将人