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連鎖するご縁。カジュアル出家が仏教を変える⁉|もう一度会いたいお坊さんに会いに行く旅【小谷剛璋さん✕高橋淨休さんロングインタビュー・前編】
岡山の最果て・蒜山高原から
なら100年会館の舞台に立った
福王寺・小谷剛璋さん。
東京からやってきて
カジュアルに出家した
弟子の淨休さんの活躍を
落語家顔負けの話芸で語り
H1法話グランプリ2023で
見事チャンピオンを獲得。
素心・こころねは
早速、蒜山の福王寺に駆け付け
小谷さんと淨休さんへの
ロングインタビューを敢行。
わずか10分に凝縮された
法話の裏側をたっぷりと
聴かせてもらいました。
前後編でお楽しみください。
※このインタビューをより深く楽しみたい方は、まず先に「予習編」をご一読下さい。
始まりは、久世のラーメン屋さん
ーー H1法話グランプリ2023の舞台で、小谷さんは発心に触れてどんどんライジングしていく弟子の淨休さんの活躍を語られたわけですが、語り手の小谷さんと、法話の中の淨休さん、それぞれのキャラクターがとても印象的でした。ぜひともお二人そろってインタビューをということで、こうした場を設けていただき、本当にありがとうございます。よろしくお願いいたします!
小谷剛璋さん(以下:小谷) よろしくお願いいたします。
高橋淨休さん(以下:淨休) よろしくお願いいたします。
ーー まずはおふたりのご縁からお話を伺いたいです。
小谷 そうですね。そのためには、まずは淨休さんの話から始めた方がいいですね。
淨休 OK!いきましょう!まずぼくは、東京で映像制作の会社をずっとしていました。いろんなお仕事の中で、歌手の広瀬香美さんのYouTubeチャンネルを手がけさせていただいてた時期があったんです。
ーー あの、ゲレンデの女王?
淨休 そう。あのゲレンデの女王の広瀬香美さん。コロナ禍でコンサートができない中で「YouTubeをやろう!」となった時に、その仕掛人としてぼくに白羽の矢が立った。ありがたいことに広瀬さんの動画は何百万回再生みたいになったんだけど、ちょうどその頃、広瀬さんから「きよぴ(淨休さんのニックネーム)はこのあとどんなキャリアを進みたいの?」って聞かれた時に「お坊さんの姿になって、世界中を旅したい」って答えたんですよ。
ーー おもしろいですね。いままでのキャリアを考えると予想してない答えだったでしょうね。
淨休 そうなんです。それをたまたま横でマネージャーさんが聞いてて。まあこれが伏線になっていくんです。はい!次、師匠!
小谷 ぼくはぼくで、修行を終えて、33歳くらいで自坊に戻ってきたんですけど、まあ、とにかく寺がめちゃくちゃ大変なんです。岡山の最果てだから人がいない。人口も収入も減っていく。挙句の果てにコロナで法要もイベントもできない。手あたり次第に、できることをやっていこうと必死でした。ひとりで勝手に絵を描いて、ポスター作って、看板立てて、歌を作って、イベントでも、フェスでも、なんでもやってやろうと。でも手伝ってくれる人もいなくて…。
淨休 もうすでに涙ぐましいですよね。
蒜山高原・福王寺。取材当日は雪だった。
小谷 んで、あるときに、真庭市の久世っていうところでラーメンを食べてたんです。そしたら、後ろの方で、音楽関係者らしき人がいて、「東京がどうだ」「フジロックがどうだ」「蒜山でフェスしたい」って話をしている。これはチャンスだと息巻いて、「うちの寺でロックフェスでもやらすか!」みたいな気になっちゃって。
ーー そのノリと発想がすごいですね。
小谷 もう必死でしたから。できることは何でもやろうと。
淨休 んで、音楽関係者のうちのひとりが、さきほどの広瀬香美さんのマネージャーさんだったんです。
ーー へえ。
小谷 そうやってぼくひとり息巻いてたんですけど、その人たちはラーメンを食べ終えて帰ろうとしている。慌てて食べかけのラーメンを平らげて、あとを追いかけました。
淨休 車を発進させようとしているところを、変な男がいきなり全速力でやってきて、窓をゴンゴンとノックするわけです。マネージャーさん曰く「完全に輩が絡んできたと思った」って(笑)
ーー でも、なかなかの行動力と言うか、瞬発力と言うか…。
小谷 やっぱり危機感ですよね。こんな田舎で東京からの音楽関係者と出会えるだなんて、このタイミングを逃したらもうないぞと。とりあえず引きずり込もうと、がむしゃらでした。
淨休 おかしなお坊さんと僧侶になりたい奴。マネージャーさんは、このふたりを引き合わせたら面白いんじゃないかと思ったんです。
浄久さん、出家して淨休に。
ーー なるほど。こうしてH1の舞台で語られた話へとつながっていくのですね。
淨休 そうなんです。数か月後、そのマネージャーさんと一緒に福王寺に行くこととなります。んで、いろいろ話を聞いてみると、得度のハードルってめっちゃ低いんです。10万円あればできる。むずかしい勉強も、きびしい修行もいらないって言うから。じゃあ、お坊さんになろうと。
小谷 勉強なんて、あとからしたらいいんです。まずは仏教とご縁をつなぐことが大事です。
淨休 「仏門はいつも開かれてますから」とか言われるんで、そりゃもう、何も考えることはないなと。こんなご縁をいただいたんですから。
小谷剛璋さん(福王寺住職)
小谷 はじめて淨休さんがここに来た時、ぼく、感動しましたもん。
淨休 えっ?それは、何に?
小谷 もう、お寺にあるものすべてに興味津々で。無邪気に「やばいー!」「すごいー!」って子どもみたいにはしゃいでいるんです(笑)お寺の歴史を説明したらものすごく関心を持って聴いてくれる。こっちもめちゃくちゃ嬉しかったですよね。
淨休 師匠のことばを借りれば「仏門はいつも開かれている」んですけど、やっぱり敷居は高いですよ。気軽には入れない。だからこそ、その門をくぐれたときの喜びはなかったです。そして、なによりお寺のひとつひとつがおもしろいですよ。
ーー 法話では、淨休さんのおじいさんが孫を僧侶にしたいということから名前を「浄久」にしたとありましたが、淨休さんはどうしてお坊さんになりたかったのですか?
淨休 本当に、ただおもしろそうだったから。でも、それ以外にもいくつか要因はあります。ぼくは四国生まれだからお遍路さんにも馴染みがあるし、実家に帰ればお墓参りは必ず行くし、なんとなく仏教とのご縁の匂いってのはあったんですね。お坊さんになりたいというよりは、仏教による精神世界の部分に興味がありましたね。
ーー 人生が苦しいとか、生きる意味を見出したいとか、そうした重いテーマではなく、興味?
淨休 うん。興味! なんだろうな、ゲームとか映画みたいなノリ。仏教はエンタメじゃないものの、おもしろそうな世界がそこにあるはずだっていう、そういう感覚ですかね。
高橋淨休さん(福王寺徒弟)
ーー そういうノリで得度を決めた淨休さんを、小谷さんはどのように見ていたのですか?
小谷 それが本当の仏教の姿だと思っていたので、すぐに受け入れられましたよ。葬儀や供養ももちろん大事ですけど、やっぱり仏教って、幸せに生きるためのものですから。
ーー 違和感などもなく?
小谷 はい。むしろ期待の方が大きかったですね。うちだけじゃなくて日本仏教そのものが危機の中、この人だったら仏教の楽しさやおもしろさをとことん追求してくれるんだろうなという期待ですね。
淨休 こちらからすると、ご縁で出会った師匠がものすごくポップだったというね(笑)
小谷 閉塞した現状を突破してくれるのは、こうした外からやってきた人による光明なんじゃないかと思うんですよ。芸能の世界で生きて、エンタメのノウハウも人脈もある。こうした人たちの力を巻き込みたいなと。
出家前の淨休さん。まさにポップの極み。(本人提供)
責任は全部ぼくが持ちます
ーー 淨休さんのインド旅、そしてYouTubeの『JQクエスト』が始まります。
淨休 さすがに仁和寺で出家したことは伏せた方がいいのかなと思って、まずはじめに師匠に相談したんです。
ーー 宗門や師匠に迷惑をかけてはならないと?
淨休 そう。すると師匠は、「どんどんやって下さい。私が責任を持ちます」って言っちゃうわけです。
ーー すごい!
淨休 でしょ!
小谷 責任なんて取れないんですけどね(笑)
淨休 「うわあ、かっこええ!」みたいな。
小谷 まったく怖くないわけじゃないんですよ。「仁和寺で出家したやつが暴れてる」「あいつの師匠はだれだ」と言われる恐れもあります。でも、それ以上にお寺や仏教に対する危機感が強くて。行動しなきゃダメだし、仏教に関心を持ってくれている人の動きを止めちゃダメだろうと。そこは勇気を振り絞りました。
淨休 で、師匠は岡山から成田まで見送りに来てくれたんですよ。これがまたすごい。旅の安全をお祈りしてくれたんです。
小谷 渋谷横丁での前夜祭からですね。
淨休 そうです。知り合いを集めて前夜祭をしたんですよ。「出家して、明日からインド行きまーす」みたいな。ぼく、何にも分かんないから、袈裟も左右逆につけたままで「かんぱーい」とか言ってる動画が残ってると思うんですけど(笑)
旅の前夜、東京の渋谷横丁で乾杯する淨休さんと、グラスの中身がウーロン茶であることを確認する小谷さん。
小谷 でも、そのプロセスを見せるってものすごく大事なことだと思うんです。お坊さんって、カッコ悪いところを隠そうとするじゃないですか。でも最初からみんなが完ぺきにできるわけじゃなくて。成長を見せることって大事だと思うんです。
ーー 実際に『JQクエスト』を観て、インドに行った、出家したっていう人もたくさんおられるようですし、それは淨休さんが、40代後半のおじさんでもイチから出家できるんだという姿を、動画を通じて示してくれたからですよね。
小谷 まさにそう。失敗してもいいんだ、みたいなね。
淨休 実際にYouTubeを観た方から直接問い合わせが来て、師匠におつなぎして、福王寺で出家した人もいます。檀家が減るとか、寺がつぶれるとか言われてる中で、こんなやり方があったんかいと。
ーー 法話の中でも語られてましたけど、仁和寺での得度式の時、淨休さんは足をモジモジと…?
淨休 もうもうもう! そりゃあ、モジモジですよ(笑)
小谷 お寺の奥さんや息子さんたちに囲まれて、めっちゃ痛そうでしたよね(笑)
淨休 脂汗を浮かべて、立てないんですから(笑)
淨休さんの得度式(本人提供)
みんなで弘法大師になったらいいじゃん
ーー 淨休さんの躍動の模様がYouTubeで次々に配信されてくるわけですが、小谷さんはどんな思いでそれを観られてたのですか?
小谷 おもしろいなとは思ってましたけど、田舎の寺でおれは何をやっているんだっていう忸怩たる想いがあったのも事実です。でも、自分ひとりではなにも成し遂げられないんで、みんなで弘法大師になったらいいじゃんみたいに思っていましたね。
淨休 うん。言った!
小谷 持ち帰ってきてくれたものをみんなで共有できたらいいので、とりあえずどうぞご自由に暴れてきて下さいと(笑)
ーー 実際に、淨休さんに対して批判的な声などありましたか?
小谷 意外となかったですよ。おふたりが凄かったですもん。飛び抜けて、突き抜けてたんで、あれに対してだれも何も言えないっすよ。
淨休 ぼくたちは無邪気に南天鉄塔を登ってましたけど、こちらはその凄さを何も知らないですからね。
小谷 法話で話した通り。目ん玉飛び出るくらいに驚きました。そもそも、「え?南天鉄塔って実在してたの?」って(笑)
ーー 南天鉄塔も伝説のものですし、それを現実のものとしたのが、こちらも生ける伝説・佐々井秀嶺さんです。
小谷 自分の弟子が、あの佐々井さんと、しかも南天鉄塔で、「イエーイ」ってやってましたからね(笑)
淨休 師匠は10年間の修行中、毎日その絵を見上げてたというのにね(笑)
小谷 仁和寺の本堂に「南天鉄塔図」があるんです。修行僧のぼくは、毎日それを当たり前のように見ていたというのに、出家したばかりの淨休さんはそこに足を踏み入れている。その様子をスマホで見ながら、本当に泣いてましたからね。
淨休 でも、師匠はぼくたちが日本に帰国した時も、迎えに来てくれたんですよ、成田まで。
ーー めちゃくちゃいい師匠じゃないですか!
淨休 でしょ! そうなんですよ。見送りもお迎えも、わざわざ岡山から成田まで来てくれて。そんなんされると、師匠の「責任を持ちます」ってことばは嘘じゃないんだと思うわけですよ。
小谷 僧侶のぼくがひとりいるだけで重みが違うじゃないですか。まわりから見て、師匠であるぼくがそこにいることで、淨休さんたちの動きの信頼性が増すというか、そういうのは意識してましたね。
淨休 そういうのをされちゃうと、こちらとしては、何とかしたい、恩返ししたいって思うわけですよ。
小谷 まあでも、そんなことくらいしかできないんで。勉強も運動もできずに育ってきましたから。もう、気合しかないなと(笑)
ーー でも、その気合で、H1のグランプリを獲られたわけですもんね。
小谷 まあ、そうですね。
後編へ続きます。
▶小谷さん✕淨休さんインタビュー【後編】
「みんなで弘法大師になればいい。二人三脚で臨んだH1王者の舞台裏」
▶小谷さん✕淨休さんインタビュー【予習編】
「H1王者につながる4つの機縁」
▶H1法話グランプリ現地レポート
▶福王寺の公式ウェブサイトはこちらから。
取材・構成・文 玉川将人