下書き

パンクロッカー、僧侶になる|中村明珍さんロングインタビュー1/3(出家編)

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ロックバンド・銀杏BOYZ
元ギタリストのチン中村さんは
バンド脱退後
中村明珍という名の僧侶となり
山口県で島暮らし。

音楽、農業、そして仏教。
これらはすべて「カッコいい」
そう話すチンさん。

3回に渡るロングインタビュー。
第1回は「出家編」

バンド在籍中
死までを考えたというチンさんの
仏道に足を向けるまでの軌跡です。

 

中村明珍さんの略歴

まずは中村明珍さんの略歴についてご紹介。

パンクロックバンド・銀杏BOYZの元ギタリスト。「チン中村」として在籍。2013年の脱退後、真言宗僧侶として得度を受け、現在は山口県周防大島町で「中村農園」を営みながら、テレビ、ラジオ、インターネット、書籍などを通じてマルチに情報発信をし、「人間らしい」生き方や価値観を提示されています。

銀杏BOYZは、過激なパフォーマンスと心に深く入りこむ歌詞世界が若者たちからの熱狂的な支持を集め、特にチンさんが在籍されていた頃は国内でも指折りのカルト的なバンドでした。

救いと共感を求めて熱狂するファンたちと対峙しながら、チンさんは何を感じ、考え、脱退、そして出家に至ったのか。詳しくお伺いいたしました。

▲インタビューはチンさんのご自宅で行われました。

ステージ上には、ご本尊がいない!

― チンさんがゲスト出演されたラジオ番組の中で、「ステージ上にはご本尊がいない」というお話をされてて、とても興味深く聴かせていただきました。

はいはい。そうでしたか。

ー 私たちは仏さまに苦しみや悩みを委ねます。これは銀杏BOYZに限らない話ですが、バンドやアイドルやミュージシャンは、ファンにとっての教祖やご本尊のような存在。ステージ上の人たちは、信者(=ファン)の想いや念を受け止めて、それをどう処理するんだろうと、ずっと気になっていました。

実際に僕たちも宗教的であることには自覚的でした。「次のアルバムのタイトルは『新興宗教銀杏BOYZ』だな」って、何度も言ってましたから。

ー 私はいまでも銀杏を聴いていますが、救いや共感を求めるコアなファンが本当に多いバンドだと思います。

CDを買ってくれる人、ライブに来てくれる人、いろんな人たちと共感しあえたと思いますし、救いを感じてくれた人もいっぱいいてくれたと思います。でも、肝心の自分たちが救われていないところがありました。

ー 現在僧侶のチンさんには受け流す先としての仏さまがおられる。バンドの頃はファンたちからの想いや念をどうしていたのですか? 受け止めた? それとも受け流した?

うーん。受け流すっていうような発想そのものがなかったですね。こういうものなんだろうなっていう感じで。でも実際は受け止められるわけがなくて、魂は無意識に疲弊していく。そのころからお寺に足を向けるようになりました。

ー それまでは?

まったく。神仏に関心のない両親のもとで育ちましたし。

ー お寺に何を求めていたのですか?

うーん。単純に安らぎを、ですかね。あとはアイデンティティを探しに。

ー アイデンティティ探し?

日本語の歌詞にこだわるバンドでした。西洋からやってきたロックに日本語を載せようとするとどうしても葛藤が生まれるんです。その日本語話者たる自分たちのルーツというか、アイデンティティを求めて、お寺にお参りしていましたね。

アンサンブルの気持ちよさ

ー チンさん自身も、音楽に救いを求める少年だったのですか?

はい。そうですね。

ー 音楽との出会いは?

小学校6年生の時に、音楽の授業でアンサンブルをしたんです。クラスメイト40人くらいで。その時に演奏したのがザ・ブルーハーツの『情熱の薔薇』でした。

ー おお! 日本語パンクロックの王道ですね。音楽の授業としては珍しい。

当時流行っていた曲を積極的に授業に取り入れるような先生で、とにかくそのアンサンブルが気持ちよくてカッコよかった。僕は木琴でしたけど、他にも笛やピアニカだけじゃなく、シンセサイザーやドラムセットまであって。

ー すごい! 楽しそうです。

みんなが意識を一つに集中してでき上がった音楽の高揚感がすごく気持ちよかったんですよね。ひとつひとつの音が関係しあってないと、カッコいい音は出ないんだってことを、肌で体感しました。

ー 「関係しあう」って素敵なことばですね。

加えて、子どものころは比較的いじめられっ子で、音楽が鬱屈した僕の尊厳を解放してくれました。

ー 音楽を聴くことで心が癒され、ギターをプレイすることで周りからも認められた。章宏たかひろ少年(チンさんの本名)にとっても音楽は救いだったのですね。

 

その後、ギタリストとしてお仕事させていただくのですが、パンクロックの世界にはなんとも言えないやさしさがあるんです。

ー やさしさ?

いわゆる「インディーズ」と呼ばれる世界には、商業主義的なメジャーと違って、そこにいる人たちの個性や自主性が尊重されるようなところがあって。「遅刻ばっかりしてるけど絵がめちゃくちゃ上手い」とか「社会性は欠けているけどギターが弾ける」とか、そんな感じで、自分が自分のままでいいんだってことが許される、そういう居心地のいい世界でした。

自我のぶつかりあいは、辛くて、苦しい

ー そんなチンさんが、バンドを辞めていく経緯についてお伺いしたいのですが…。

小学校のアンサンブル体験で「関係しあう」ことの素晴らしさを肌で体感してから、みんなで何かを作り上げるっていうのがものすごく好きになりまして。それは、仏教の言葉の「縁起」と同じようなことだと思うんです。すべては関係性で成り立っているという。この自分ですら。でもバンドが大きくなればなるほど、バンド内での自我と自我のぶつかりあいも大きくなっていきました。心の深いところにグッと入り込むスタイルのバンドだったので、メンバー4人それぞれも自我を深く突き詰めてそれを表に出すことを課しているところがあって、それゆえの衝突が、辛くて苦しかったですね。

ー 縁起という考え方は自我の真逆ですもんね。

たしかに自我をむき出しにして、しかもそれをぶつけ合うことでいい表現ができるのかもしれない。実際に一流のバンドやミュージシャンの人たちはそのフェーズを乗り越えて大きくなっていくのだろうと思いますけど、僕の場合は、自分の中に無いものをむりやり出さなくちゃいけなくなってしまった感じで、それが苦しかったですね。

ー もともと自分を救ってくれるはずの音楽だったのに。

救われたい側の人間たちの集まりでしたから、メンバー全員がどん詰まりの状況にはまり込んでいましたね。その頃はバンドの中の人間関係もギスギスして、本当にいつ死のうかって、死の一歩手前まで追い詰められていました。

お寺にしかなかったもの

ー 著書の『ダンス・イン・ザ・ファーム』にも書かれていますけど、占い師、霊媒師、神社、パワースポット、心療内科、さらにはプロテスタントの教会にまで行かれたのですよね?

はい。わらにもすがる想いで。

ー 最終的に「山梨県の真言宗のお寺が一番しっくり落ち着いた」と書かれています。他の場所になくて、仏教寺院にあったものって、何ですか?

うーん…。歴史、ですかね?

ー 歴史?

はい。仏教は歴史の深さというか、スケール、バックグラウンドの大きさが全然違いました。真言宗なので護摩や瞑想や読経などをするんですが、そうした具体的な方法論はもちろんのこと、その教えや根拠もはっきりしているので、納得のレベルが他と違って格段に際立っていました。

ー お寺に通い出して、心が軽くなっていった実感はあったのですか?

心が軽くなるというか、本当に自己がバラバラにならずに済んだというか、つなぎとめてくれた、身を守ってくれた、そんな感じです。

ー チンさんの興味深いところは、信仰心の厚い在家信者にとどまらずに、本当に出家しちゃうところですよね。

うーん。できることはとことんやりたいところがありまして…。

ー 奥様は反対されませんでしたか?

「お坊さん? 面白そうじゃん」って(笑)

ー でも、お坊さんってなりたいと思ってなれるものなんですね。

いやいや。実際はそう簡単になれるものじゃないんです。僕の場合、いろいろなご縁に恵まれました。はじめはそんなこと全く知らなかったので、「お坊さんになりたいんです」って、無謀にも本山クラスのお寺に片っ端から電話してました。山梨県のお寺の住職や、本当にたくさんの人とのご縁があって、いまがあるんです。

厳しい修行で得た、安らぎと生きる実感

ー 著書の中でも、善通寺(香川県:真言宗善通寺派の総本山)での修行について触れられていました。相当過酷だったのですね。

体力的にとてもきつかったです。食事は少ないですし、睡眠時間もわずかで、5分という日もありました。

ー 5分!

修行では伝統的な作法を叩きこまれるのですが、坐禅のように足を組んだまま5時間半。

ー 睡眠は5分なのに坐禅は5時間半! 想像を絶します。

最初の1週間は「これはやばいなぁ」と思っていましたけど、そのあとは、「あっ、行けそう!」みたいな感じで、身体が徐々に順応していきました。

ー 修行をしている最中、充実感のようなものがあったのですか?

肉体こそ辛かったですけど、生きている実感みたいなものがものすごくありました。心の奥底に入っていくと言うか、広げていくと言うか…。どちらにせよ、心にグッとフォーカスする作業ですね。

ー その感覚をもう少し具体的にことばにできますか?

そうですね…。あんなにも自分の心と向き合うことって、実は奇跡的なことで、普段の生活ではなかなかできません。修行中はスマホの持ち込みは禁止ですし、テレビや新聞など一切の情報が遮断されます。でもそれは修行に集中できる環境を作るためにシャットアウトしてくれていたってことなんです。修行はとても厳しかったですけど、余計なものに捉われずにありのままの自分に向き合える毎日に、安らぎと生きる実感を得られました。

▲チンさんの住む和佐の海。視線の先には四国が見える。

次回は、島暮らしについて語っていただきます。


全3回にわたるロングインタビュー。第2回と第3回はこちらから。

▶【第2回】インディペンデントな生き方(島暮らし編)

▶【第3回】仏教はカッコいい(風待ち編)

▶著書『ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ』はミシマ社公式HPからも買えます。チンさんの日々の暮らし、あたたかい人柄、そして生きることへの深い考察に触れることができます。


中村明珍氏 プロフィール

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド「銀杏BOYZ」のギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、真言宗僧侶の傍ら「中村農園」で農業に取り組む。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。著書に『ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ』(ミシマ社)、独立研究者の森田真生さんとのインターネットラジオ『生命ラジオ』、地元テレビやラジオなどメディア出演多数。


構成・文 玉川将人

撮影 西内一志