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理想はエンディングノートがいらない関係。藤井奈緒さんの目からウロコの幸せ終活塾(後編)
終活カウンセラーの藤井奈緒さんによる
エンディングノートの書き方講座。
前編では、書かずに作る
エンディングバインダーについて
教えていただきました。
後編では話がどんどん深くなり
書き方から考え方へ
さらには大切な人とのつながり方にまで
言及して下さいました。
「エンディングノートがなくてもいい」が理想。
そう断言する藤井さんによる
愛のあふれる金言の数々です。
「エンディングノートがなくてもいい」が理想
ー 前編ではエンディングノートを書けない理由とその対処法について教えてもらいました。その最後に藤井さんは、「本当はエンディングノートはない方がいい」と仰っていましたよね。
はい。私個人の本音を言うと、「エンディングノートがなくてもいい状態」が理想だと思っています。
ー なくてもいい状態? 具体的に聞かせてもらえますか。
なぜエンディングノートが必要なのか。それは情報や想いを伝えるためですよね。
ー たしかに、そうですね。
大事なのは伝えること、伝わることであって、エンディングノートはそれを補うものでしかない。ノートに頼らずに想いが伝わるのが理想です。
ー なるほどです。
普段から家族の中でコミュニケーションがしっかり取れているのなら、エンディングノートに頼らなくてもいいのです。「お金はここにあるからね」「通帳はここだよ」「診察券と保険証はここよ」「いつも感謝しているよ」ということを普段から伝えられていれば、エンディングノートなんてそもそも必要ないですよね。
ー いや、本当に仰る通りです。
目的はエンディングノートを書くことや、エンディングバインダーを作ることじゃなくて、伝えること、伝わること。そこがズレちゃいけないんです。私がセミナーでお伝えする中で最も基本で最も大切なことです。
エンディングノートを書かせる魔法の言葉は、ない
あと、セミナー参加者の方で多いのは「親や配偶者にエンディングノートを書いてもらうにはどうしたらいいですか?」というものです。
ー 自分がどう書くかではなくて、相手にどう書かせるか、ということですね。
はい。親のいまの状態を知りたい。配偶者が何を考えているか知りたい。だからエンディングノートを書かせたいのですね。でも「書かせる」という発想がそもそも間違っているのじゃないかなと思うんです。
ー たしかに、そうですね。
逆の立場で考えたら分かることですよね。ある日家族に「これ書いておいてくれない?」って言われて、エンディングノートを渡されたら、やっぱりちょっとショックですよ。私の死を考えているのだと思うと、どんな言われ方をしても、誰でも寂しくなっちゃうものです。
ー 仰る通りですね。
私は必ず相談者の方に「エンディングノートを書かせる魔法の言葉はない」と伝えています。
ー 手厳しい言葉ですが、ものすごく説得力があります。
そして、この相談に対する唯一無二の答えは「コミュニケーションをとりましょう」。これしかないですね。
ー コミュニケーション。
死ぬ時にどうしたいかというエンディングの情報を聞き出す手前で、いまの相手の状況をどれだけ把握していますか?っていうことです。いまお母さんは元気にやっているけれど、本当のところ、何を考え、何を感じているかを分かってあげられていますか? 「体の具合どう?」「最近お友達と会ってる?」「食べにくくなったものはない?」みたいな何気ない日常的なやりとりを通じて、知る努力をできている人が、どれくらいいるでしょうか?
ー 未来は、いまの延長にしかないですもんね。まずはいまを知ることが大切なんですね。
そうです。本当にそう。その先にしかエンディングへの想いを共有できる意識レベルにならない。だから時間をかけたコミュニケーションが大切ですし、それしかないんです。
ー 「エンディングノートを書かせたい」というのはきっと、相手が何を考えているかを知ることで、自分の不安を解消させたいのでしょうね。目線がすごく自分寄りというか、相手に寄り添えてないのですね、きっと。
仰る通りです。自分が安心したくて、肝心の相手が見えていない。一緒に安心していこう、不安を解決していこうと思うのならば、いまのこと、いまの不安を知ることが先決です。
助け合い助かり合うことの大切さ
ー 思いを託すべき家族や相手がいれば、これまで藤井さんが話してきたような「コミュニケーションをとろう!」と努力ができると思います。しかし、『おひとりさま』と呼ばれるような、託す相手がいない場合は、どうすればよいでしょうか?
公助、共助、自助という言葉があります。まずはこれらを整理して考えていきたいですね。
ー はい。
終活における「公助」とは公的機関による支援、「共助」とは家族やご近所さんや友人たちとの助け合い、「自助」は民間企業のサービスを自分で契約して備えることです。その中でも、公助(行政の制度)と自助(契約サービス)だけを頼りにするのは限界があると思っていて、本当の意味での豊かな人生を送るには不十分だと考えます。
ー と、言いますと?
隣近所や友人といった親しみのある人たちとの関わり合い。そこを満たしてこその幸せだと思うんです。
ー 「幸せ」。とても大切な視点ですね。
話を聞いてくれる相手、想いを託せる相手を自ら探していく。そして、自分自身も誰かの話に耳を傾け想いを受け止める、そうした共助の関係を自ら作っていくことが大切です。ここを億劫がらずに取り組めるかが、特に『おひとりさま』の終活では重要なことだと考えています。
ー 共助のつながりを築いていくには、自分からの働きかけが大切なのですね。
そうですよ。人ってついつい公助に頼りがちで、いざとなったら国や役所が助けてくれるんじゃないかと期待しがちです。でも大事なのは、お互いが助け合う、助かり合う関係性を自分のすぐそばで共に作っていくことだと思います。だから、「共助」なんです。
藤井さんは「親なきあと」相談室関西ネットワークの代表理事も務め、障がいのある子どもや家族を持つ人たちへの支援活動はメディアからも大きな注目を集めています。
お寺は泣いてもいい場所 終活で求められるお坊さんの力
ー 制度や契約では救いきれないものって、やっぱり「心」の部分ですよね。
はい。素心さんは仏壇仏具店なのでよくご存じかと思うのですが、終活の領域ではお寺やお坊さんの力がものすごく求められていると思います。
ー 私もそう思います。そのあたりをもっと詳しく聞かせてもらえますか。
お寺って泣いてもいい場所なんですよね。普通の相談機関は、問題の原因を追及して、サービスや制度を活用して解決しましょう、みたいな感じで終わってしまう。それも大事なんですが、助けがほしいだけじゃなくて、ただ、いまの辛い想い、あるいは嬉しい想いを聞いてもらいたいだけの時もあるじゃないですか。
ー はい。
こみあげてきてどうしようもない感情を心置きなく話せる場所って案外なくて、でもお寺なら受け止めて下さいますよね。
ー そうですね。
エンディングノートに書く内容や終活ですべき事柄って、実は大体自分自身で分かっているんです。その上で、普段の喜怒哀楽や心の声に耳を傾けてくれさえすれば、あとは自分で動き出せるんですよね。
ー 藤井さんは、文化時報社による『福祉仏教入門講座』の講師もされています。仏教が社会福祉に関わっていく取り組みですが、お寺やお坊さんの力に期待をしているからなのですね?
はい。強く期待しています。共助の関わりの中にお坊さんが入って下さるとものすごい力を発揮してくれるものと思っています。福祉仏教講座に集まるお坊さん方は確固たる信仰を持っています。自分の宗派の教えを信じ、ただひたむきに人々の苦しみに寄り添い、困っている人を助けようとしています。
ー 素晴らしいですね。
多くの人はいろんな事情を抱えているけれど、辛いことや苦しいことを誰かに話せなかったり、逆に人の話に耳を傾けることができなかったりする。そこを補うように満たして下さるのは、お寺やお坊さんしかいないのではないかと思います。
ー まして、終活は死を見据えた取り組みですから、より仏教の教えが心強く感じられますよね。
死や死後の問題を引き受けて下さるお坊さんが、悩みや不安に耳を傾けてくれたら、こんなにも力強いことはないですね。
ー お寺は泣いてもいい場所。改めて、すごく素敵な、そして大切な言葉ですね。
ひとりで悩まずに、心の中に押し込んでいる想いをもっと楽に話せる社会になればといいなと思います。それが幸せにつながる終活への第一歩になるはずですし、お寺には頼れる存在として大きな期待を寄せています。
ー エンディングノートの話がここまで深い話になるとは思いませんでした。素敵なお話を本当にありがとうございました。
藤井奈緒氏 プロフィール
一般社団法人 「親なきあと」相談室 関西ネットワーク 代表理事。Officeニコ 終活のよろず相談所 代表。終活カウンセラー1級(R)、相続診断士(R)、家族信託コーディネーター(R)、その他、福祉関連公的資格多数。
取材・構成・文 玉川将人