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戒を超えて、真実に生きる~『史上最大の親鸞展』開催記念。京都国立博物館・上杉智英さんに訊く親鸞の魅力(前編)
令和5年5月21日。
浄土真宗の開祖・親鸞は
850回目の誕生日を迎えます。
それを記念して、
京都国立博物館で
開催されるのが
親鸞聖人生誕850年
特別展『親鸞—生涯と名宝』
日本仏教史に燦然と輝く
親鸞の魅力について
同博物館の研究員で、
親鸞展の主担当を務める
上杉智英さんに伺いました。
どうして、いつの時代も「親鸞」なのか?
- 浄土真宗本願寺派のお寺に生まれ、親鸞展の主担当をされている上杉さんに、親鸞聖人の魅力を伺えることをとても楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いいたします。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
- 親鸞聖人は、日本で最も後世に影響を及ぼしている宗教者のひとりだと思います。850年後の誕生日をこれだけ盛大に祝ってもらうだけでなく、自身の特別展まで開催される。これはすごいことです。
2023年は、親鸞聖人のご生誕から850年という記念すべき年です。そして、来年2024年は、浄土真宗の立教開宗から800年になります。この時期、このタイミングで、特別展を担当させていただくことに、私も深いご縁を感じています。
- 850年もの間、親鸞さんはあらゆる時代の人たちを惹きつけてやまないですよね。ここ100年だけを見ても、戦前には清沢満之や三木清。戦後も、司馬遼太郎、吉本隆明、五木寛之、糸井重里。最近では実業家の若新雄純さんが髪の毛を伸ばしたまま山元派から得度されました。なぜ、どの時代の人たちも、「親鸞だ!」となるのでしょうか。
自分がその身そのままで救われるのだという、親鸞聖人がたどりついた境地が、あらゆる時代の人々の心に響いているからだと思います。
- 浄土真宗の教えは、悟りのための修行を積まなくても、阿弥陀如来にまかせて「南無阿弥陀仏」の念仏を称えれば誰もが極楽浄土に往生できるというもの。その教えの分かりやすさが、当時の庶民から大きく支持されたと解釈しています。そして、その教えが後世にも生き続けている。
そうですね。その反面、「南無阿弥陀仏」さえ称えていれば他は何もしなくていいんでしょ、と思われるかもしれません。その通りなんですが、それはたどりついた境地であって、そこに至るまで親鸞さんはものすごい勉強されています。自分がどうやったら救われるのかということを徹底して考え抜かれていた。教えもさることながら、そこに至るまでの生きざまも、親鸞さんの魅力のひとつではないでしょうか。
- ものすごくストイックな方ですよね。
このたびの親鸞展でも展示していますが、『観無量寿経』というお経を書写して、紙の余白部分にびっしりと注釈を書き込まれています。このお経ひとつ目にするだけで、親鸞さんの救いを求める熱意や迫力が、時代を飛び越えてこちらに迫ってきます。
国宝 観無量寿経註(部分) 親鸞筆 京都 西本願寺(3月25日~4月30日展示〈巻替あり〉)
大炎上僧侶・親鸞の生涯
- 親鸞聖人の生涯は、まさに波乱万丈。現代で言うところの大炎上そのものですよね。
京都で生まれて、9歳で出家して、比叡山に登って20年もの期間、真剣に修行に励まれたことと思います。それでも、悟りの境地に至れず、ついに比叡山を下りてしまいます。
- 20年もの間、修行を積んできた場所を捨てて山を下りる。これはこれで勇気のいることのように思います。
山から下りて、まもなく法然上人に出会う。やっと理想の師匠に出会えてよかったよかったと思っていたところで、越後(佐渡)に流罪となり、官僧としての資格を剥奪されます。
- 官僧とは?
国が認めた僧侶の資格のことです。当時の僧侶は国家公務員のような位置づけでしたから、この段階で親鸞さんは社会的に正式な僧侶として認められなくなったことを意味します。
- しかも、流罪。
はい。流罪は4年でゆるされます。この時42歳なのですが、京都に戻るのかと思いきや、関東に出て長いこと布教をされる。そのまま関東で過ごされるのかと思いきや、60歳ぐらいでまた京都に戻り、そこから90歳で生涯を閉じるまで執筆活動を続けられる。はたから見たら、おっしゃる通り、とても波瀾万丈な生き方ですよね。
京都国立博物館研究員・上杉智英さん
- 親鸞さんは僧侶であるにも関わらず、奥さんがいたそうですね。当時の仏教界の規範からの外れ方を見ると、大炎上もいたしかたないかと。
親鸞さんは自らを「非僧非俗」と称しました。国家や社会が認める僧侶ではないけれども、心の中で真実のさとりを求める仏弟子だから俗人でもない、ということです。
- まさに、僧に非ず、俗に非ず。
当時の僧侶は結婚できませんでしたが、実際には隠れて奥さんを持つ僧侶がたくさんいたと言われています。
- そうだったのですか?
でも親鸞さんは公然と奥さんを連れて、教えを説いていかれた。本当に、ごまかすとか、嘘をつくとか、そういうことができない真面目で正直な方だったのでしょう。
- 自身の中から出てくる煩悩にも、正直だった…?
そうだと思います。煩悩が仏の教えにそむくものであることは分かっていた。分かっていながらも、どうすることもできない。煩悩をなくすことはできない。そこで他の僧侶は「煩悩なんてありませんよ」と目をそむけて隠します。でも、親鸞さんは目をそむけずに煩悩と向かい合い、そんな私のまま救ってくださる教えを求め続けられました。
― 親鸞さんがされていることは、いわば形骸化してしまった戒律というものの意義を根本から問い直すことにもつながりますよね。既存の価値観に生きる僧侶たちにとって、真っすぐすぎる親鸞さんは疎ましい存在だったのでしょうか?
そうですね。当時の仏教から考えると、念仏を称えるだけで誰もが極楽浄土に行けると説く法然さんや親鸞さんの教えはとんでもない誤りとして見られ、まもなく朝廷から念仏禁止令が出されます。流罪になったのもそのためです。
戒を超えて、真実に生きる
- 親鸞さんの「非僧非俗」という生き方をもう少し詳しく教えてもらえますか。
はい。たとえば師匠の法然さんは、戒律を守る守らないに関わらず、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えたら誰もが救われると説いたものの、ご本人は戒律を守り、弟子に戒律を授けることのできる戒師として生き抜かれました。
- 修行僧として戒律を守り抜いた、ということですか?
そういうことです。でも、弟子の親鸞さんはそうではなかった。親鸞さんは法然さんを「勢至菩薩の化身」といわれています。普通の人ではない、と。それに対して自分は普通の人だと。普通の生き方しかできない。戒律なんか守れない、と。
- でも、そんな戒律を守れない、破戒僧の教えが、結果的に800年後の現代にまで受け継がれているのは、なんとも興味深いですね。
破戒僧の教えだからだと思います。私と同じ、戒律を守ることのできない、普通の生き方しかできない人のための教えだからこそ、現代にまで受け継がれたのだと。髪の毛を伸ばしたままの親鸞さんの肖像画が残っています。親鸞さんをむやみに神格化することなく、一人の人間、そのままの救済を説く浄土真宗の教えを象徴する素晴らしいご寺宝です。
- 激しい批判や弾圧を受けながら、何が親鸞さんを突き動かしたのでしょうか。
親鸞さんはとことん「自分」を見つめた方です。「この国をよくするには」「あの人を救うには」というのではなく、「私が救われるにはどうしたらいいか」という、いわば自分の問題に向き合い続けました。だからこそ、嘘はつけないし、ごまかせない。
- すべての原因も、答えも、自分の中にある。だから嘘もつけないし、ごまかせない。ということですか?
そうですね。
- そのあたり、本当にストイックですね。でも、戒律を守り、悟りを目指せば目指すほど、自分の中の煩悩に気づいて、自分が愚か者に見えてしまいますよね、きっと。ご本人がストイックなだけに。
だからこそ親鸞さんは、自分自身で悟りにたどり着くことは絶対にできないと知り、阿弥陀如来さまのお力にすべてを委ねたのだと思います。
- そうか。そうですね。
そして親鸞さんは自分のことを最下限に見ていました。なにもできないこんな私が救われるのなら、あなたもみんなも救われる。阿弥陀さまの教えはこんな私をも救う教えだから、あなたもみんなも必ず救われる。戦乱や天災に苦しんだ当時の人たちにとって、このメッセージは大きなインパクトだったはずです。
- そのインパクトは、現代においてもなお絶大です。もう一つ深掘りするなら、なぜ親鸞さんはそこまで「自分」に、そして「救い」にこだわり続けたのでしょうか?
なぜ、なんですかね。もう本当に何でなんですかね(笑)うまい具合に周りに合わせて、比叡山の中で上手にやって、出世街道に乗るみたいな生き方もできたはずです。それなのに、わざわざ比叡山を降りていって、いばらの道を自ら突き進む。本当になぜなのでしょうか…。
- その答えは、親鸞展の中にあるかもしれませんね。
そうですね。ぜひとも親鸞展に足を運んでいただいて、ご自身の中で答えを考えてほしいと思います。
後編では、『親鸞展』の見どころ、そしてこの展覧会に込める上杉さんの想いから、親鸞聖人の教えの本質に迫っていきます。
親鸞聖人生誕850年特別展『親鸞—生涯と名宝』は、京都国立博物館で開催中です。会期は2023(令和5)年3月25日(土)~5月21日(日)。詳しくは展覧会公式サイトをご覧ください。
▶『親鸞展』公式サイトはこちらから。
▶京都国立博物館ウェブサイトはこちらから。
親鸞展が行われる京都国立博物館・平成知新館
素心・こころねでは、『親鸞展』の開催を記念して、以下のアンケートにお答えいただい方から抽選で5組10名様に観覧券ペアチケットをプレゼント!記事の後編の中のどこかに示されている合言葉をフォームにご記入の上、ご応募ください。
なお、応募締め切りは令和5年4月24日(月)とし、当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます。
▶後編「展覧会だからこそ感じられる本物の力」はこちらから。
取材・構成・文 玉川将人