こころね

ともに白道を歩む – “もう一度会いたいお坊さん”に会いに行く旅【舟川智也さん~後編】

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子どものころは
僧侶になるのがイヤだった。
そう話す舟川さんは、
どうして僧侶になったのか。

現実から目を背け続ける智也少年の
心の迷いを見抜き、ほじくり返してきた
ご門徒さんのある言葉。

法話が私たちにもたらせてくれるもの。
そして、お仏壇を持つことの意味。

H1法話グランプリファイナリスト
舟川智也さんのインタビュー後編。

あたたかみのある舟川さんの言葉を
どうぞ、お味わい下さい。

前編「法話は、痛みと苦しみに届ける仏さまの心」がまだの方はこちらからどうぞ。

子どもの時は、僧侶になるのがイヤだった

ー 後編は、舟川さんご自身のお話からお伺いしたいと思います。お寺の息子に生まれて僧侶になって、いろいろな取り組みにチャレンジされています。僧侶の仕事は楽しいですか?

はい。楽しくさせていただいています。

ー どういうところに楽しさを感じますか?

自分が好きな仏さまの話をしながら、その話をみんなが喜んで共感してくれるわけじゃないですか。こんな素敵なお仕事はありませんよ。布教使をしていると、日本全国のお寺からお誘いがあって、たくさんの人とのご縁もいただける。本当にありがたいことです。

ー 幼いころから、僧侶の仕事をしたいと思われていたのですか?

いえ、全然。お坊さんになるのは絶対にイヤだと思っていました(笑)

ー そうでしたか。

子どもの頃から父と出かけた記憶がありません。週末も葬儀や法事で家にいませんし、旅行なんてもってのほか。深夜0時や1時ころに電話が鳴ったと思ったら、父が布団から出て、法衣に着替えて、ご門徒さんの家に出かけていく。色んなことに縛られている父を見ていると、これはイヤだなあと、若い時は思っていました。

ー 転機は何だったのですか?

そうですね。10歳の頃からお盆参りのお手伝いをずっと続けていまして…。

ー へえ。お参りって、そんな若い年齢からするものなのですね。

はい。お寺の世界ではよくあることです。私自身も人手が足りないことが分かっていたので、毎年のこととして習慣化していました。

ー でもやっぱり、智也少年は「イヤだなあ」と…。

そうですね。とあるおうちに、無口なおばあちゃんがおられまして。話す言葉と言えば、「なまんだぶ」か「ありがとうございました」くらい。こちらもまだ若いですから、何を話していいのか分からない。お勤めを終えるとすぐに失礼していたんです。

ー まだ10代。上手に世間話なんてできないですよね。

ここのおたくにお参りしだして3年目くらいのお盆参りの時でしょうかね。たしか私が大学1年生の時、僧侶の道を避けるために、仏教系ではなく国立の大学に進学したばかりでした。普段無口なこのおばあちゃんが、その時に限って、私の背中越しに、「ぼっちゃんね、白道びゃくどうを歩みなさいね」と言って来られまして。

ー 白道・・、とは?

極楽浄土に通じるとされる白い道のことです。その時は、その言葉の意味もよく分からなかったものの、心の中を見抜かれた思いがして、とても恥ずかしく、情けない想いがあふれてきました。

ー なぜでしょうか?

きちんとお参りして、お勤めをしているつもりでも、ふるまいのひとつひとつから、私がその道を心から歩んでいないことが、このおばあちゃんには伝わっていた。そしてそのことがすぐに分かってしまったからです。

ー 見かけは僧侶でも、中身が伴っていないと。

はい。ご門徒さんたちって、お寺の息子が立派なお坊さんになって、自分たちの子の代、孫の代まで、お寺を守ってほしいと思っているわけです。そうやって育てられたというのに、私は自分のことばっかり考えて、ずっとイヤだイヤだと思っていた。そこを見抜かれたわけです。

ー 当時、意味もよく理解できない言葉であるにも関わらず、おばあさんのそのひと言が、当時の舟川さんの心にずしりとのしかかった。なぜだと思われますか?

幼い頃からずっと、「このお寺の住職になるんだ」と言われ続けてきて、自分の中でもそれは避けられないことと分かってはいたけれど、目を背けていた。そこをほじくり返されたからでしょうね。

ー その後、僧侶になった舟川さんは、おばあさんとどんなお話をされたのですか?

そのことがあって、僧侶になろうと腹を括り、翌年に正式に浄土真宗の僧侶になることができました。でも、あの言葉をいただいたのを最後に、一度もお会いする機会がないままです。もう27年前の話になります。

二河白道にがびゃくどう・・・浄土教における極楽浄土を願う信心のたとえ。燃え盛る火の河と、怒濤渦巻く水の河の間に伸びる、極楽浄土への唯一の道のこと。行くも地獄、帰るも地獄。ならば阿弥陀仏を信じて往生を願おう。

 

H1の舞台で背負った、浄土真宗の伝統

ー 浄土真宗の僧侶になられたのち、布教使の資格も取られます。法話をしたいという想いがあったのですか?

父が布教使として活動していましたから、僧侶ってそういうものなんだろうなと、深い考えはなかったですね。

ー H1の舞台上の舟川さんは、なんだか場慣れしている感じがして…。素人なりに「あ、この人は“THE 浄土真宗”だな」と、直感しました。

そうでしたか。審査委員長を務められた釈徹宗先生(相愛大学学長)にも同じように仰っていただきました。とてもありがたいことです。

ー ただの場慣れにはとどまらない、舟川さんの話、立ち居振る舞いに、浄土真宗の伝統みたいなものを感じたと言う方が、より近い表現になるかと思います。

ありがとうございます。

H1法話グランプリ2021の舞台で法話をする舟川さん

ー 読者の方々にちょっと解説すると、浄土真宗の法要は、法話がセットになっています。布教使というのは宗派内の資格で、法要の時には必ず近場の、あるいは遠方の布教使さんを招いて、法話をしてもらうわけです。よね?

はい。そうですね。

ー そして、法話こそが、浄土真宗の布教の根幹だとも伺いました。

他の宗派のように、祈祷や坐禅のようなものもない。そして、決して僧侶自身が教えを説くのではなく、お経や法話を通じて、あくまでも仏さまの教えをお取次ぎするのが、真宗僧侶の姿です。

ー なるほどです。浄土真宗はそもそも法話の場数が違う。そうした昔から続く伝統の力、ネットワークの力みたいなものが、他の宗派のお坊さんと並んだ時に、より際立ったのだと思います。舟川さんの立ち居振る舞いも、聴衆を巻き込む感じも、きっと浄土真宗の伝統を背負っておられるだろうなと…。

私の喋っている言い回しも、多分たくさんの先輩方が使ってきたものが自然にしみついたものです。なぜ「多分」なのか。それは、私の中ではもはや馴染みすぎて、どれを真似てきたのかが分からないから(笑)でもきっと、伝統って、そうやって作られていくものなんだと思います。

いま、法話が求められている理由

ー H1法話グランプリをはじめ、いま、お坊さんの法話が人気です。仏教離れと言われつつも、先行きの見えない世の中で、苦しみ、迷っている人がたくさんいる。どうして法話が求められているのでしょうか。

人間って、意味を求める生き物だからじゃないでしょうか。自分がやってることの意味、生まれてきたことの意味というものを、本来誰もが持ちたがります。

ー そうですね。

先日、お寺の役員の方たちと話す機会があって、どうしてお寺に来るようになったのかという話題に及びました。ある方はずっと長距離のトラック運転手で、「こうやってトラックを運転するだけの人生は寂しいな」と思っているところに、先代住職とご縁ができて、お寺にお参り下さるようになったそうです。子育て、仕事、それだけが自分の人生なのだろうかと、誰もが考えるのではないでしょうかね。

ー はい。

でもそんなことを他人に話すと、「なんでお前、そんな真面目なこと考えてるの?」って流されがちじゃないですか。それはきっとね、問いが大きすぎて、その上、誰もが答えを持っていない、だから流されてしまうんです。

ー なるほど。

でもお寺は違う。お寺は、簡単には答えの出ないような根本的な問いを、ずーっと考え続けている場所だし、考えてもいい場所なんです。

 

ー 人の苦しみを、2500年間見つめ続けてきたのが仏教ですもんね。それは、オンラインの両徳寺でも同じことが言えますよね?

私のチャンネルを見てくれている方、Twitterでご縁のある方、やっぱりみんな、苦しくって、その苦しさに対して答えてくれるものを探しています。少なくとも仏教は、「こんな苦しい想いをするためにこの世界に生まれてきたのだろうか」というような問いに対して、ともに向き合っていけるものじゃないかなと思います。

ー 前編でもお話しされたように、「これだ!」という答えを示すのではなく、痛みや悩みや苦しみに寄り添って一緒に向き合おうというスタンスが、舟川さんが大切にされている「聴く」ことにつながるのですね。

こちらから答えを出しても、なかなか受け入れられないものです。最後は自分で答えを出さないとイヤなんですよね、人間って。ですから、僧侶にも限界があります。そばにいて、共に悩み、仏教の教えについて伝えても、最後はその人次第。くり返しくり返し、長い時間をかけて、解決に向けて一緒に歩いていくっていう感じでしょうか。

ー ともに白道・・を歩むのですね。

はい。

お仏壇の前に座ると、時間がゆっくりと流れる

ー 『こころね』は仏壇店が運営するWEBメディアです。最後に、お仏壇のよさ、ありがたさ、大切さについてお話しいただけますか?

いろんな法話を考えてますけど、私の話はだいたいお仏壇の前から生まれるんですよ(笑)

ー すごい! イマジネーションがグッとあふれ出るのですね!

そうですね…。多分みなさんにとってお寺という場所は、非日常空間だと思うんです。普段とは違う時間が流れていて…。

ー お寺の本堂に入ると、時間がゆっくり流れて、なんだか気分が妙に落ち着きます。

会社では上司部下、商売をしていたらお店の人とお客さん、学校では先生と生徒、部活では先輩と後輩、私たちは色んなしがらみがある中で、人付き合いをしなくちゃいけない。言葉遣いだって、相手との関係性によって、ひとつひとつ全部考えなくちゃいけない。

ー 配慮、気遣いばかりの日々です。

でも、お寺という場所はそんなの関係ない。みんな横1列。ざっくばらんに付き合えるのがお寺のいいところです。そして、これは家にあるお仏壇も同じだと思うんです。

ー お仏壇も同じ? どういうところがですか?

お仏壇はお寺の縮小版です。お仏壇の前に座るときだけは、一日の中でふっと違う時間が流れる。普段考えないことにゆっくり想いを馳せられる。たとえば、ご先祖さまのことだけでなく、自分は何のために生まれてきたのだろうかとか、家の中でそういうことを考えてもいい場所が、お仏壇ではないでしょうか。

ー 異なる時間を持つことのよさは、どのあたりにありますか?

自分はどうして生まれてきたのか。人は死んだらどうなるのか。そんなこと、普段は忙しくて、問いが大きすぎて、考えられないですよね。でも、自身の存在に深く根を下ろす問題と向き合う時間って、本当に大切で、それがないと、同じ時間が流れっぱなしです。お仏壇は、時間の流れを無理やりせき止めて、自分が本当に大切にしているものと向き合う場所だと、私は思っています。

ー とても素敵なお話を本当にありがとうございました。舟川さんは、とにかくあたたかみのある語りが素敵なので、こうした活字メディアだけでなく、YouTubeや、リアルの法話会で、その魅力、ありがたさを味わっていただきたいです。

ありがとうございます。


▶H1法話グランプリの舟川さんの法話はこちらのDVDでご覧いただけます。

毎日新聞社「つなぐ寺」H1法話グランプリDVD販売特設サイト

▶両徳寺公式HPはこちらから

▶舟川さんのYouTubeチャンネル「みんなでおてらいふ/両徳寺」

▶こころね記事「762組もの仏縁がつながる日-「H1法話グランプリ2021」現地レポート」


構成・文 玉川将人

撮影 西内一志/玉川将人