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真魚から空海、そしてお大師さまへ。善通寺管長が語る空海生誕1250年の響き
2023年6月15日
善通寺の地で
弘法大師空海が誕生してから
今日で、1250年。
お大師さまは
今もなお
衆生救済を祈り
高野山・奥の院で
修行を続けています。
のちに
「空海」「遍照金剛」
「弘法大師」と
さまざまな呼称を
持つこととなる
若き日の真魚少年。
讃岐の地に生まれ
四国の山々を駆け巡った
真魚とはいったい
どんな少年だったのか。
生誕の地・善通寺の管長
菅智潤猊下に
お話を伺いました。
真魚少年の歩み
- 今日は、このような貴重な機会をいただき、誠にありがとうございます。兵庫県の地域密着型の仏壇仏具店の社員が、お大師様御誕生の場所である善通寺の管長猊下(※)にお目にかかれることをとても光栄に存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします。
※「管長」とは宗派の最高責任者のこと。「猊下」とは高僧に対する敬称。
こちらこそ、よろしくお願いします。
- お大師さまの幼名は佐伯真魚。幼少期の真魚少年に関する記録は、伝説的なものに彩られ、大学を辞めてからの修行期間も「空白の7年」とも呼ばれるほどです。その実像は謎に包まれていますが、善通寺に携わって50年にもなる猊下から見た真魚さん像、お大師さま像をお伺いしたいです。
この善通寺という土地は、大変古い歴史を持ちます。真魚さんが生まれる前からいまに至るまで、善通寺の裏には弘田川が流れていますが、この川の水を利用して農耕文化が発達したと言われています。また、瀬戸内海を通じて朝鮮や中国との交流も盛んに行われ、大陸の影響を受けたたくさんの遺物が出土しています。
- 善通寺市内には古墳も多いですよね。
これらもお大師さまの祖先である佐伯家のものだと言われています。佐伯家はこの地域の豪族で、両親も真魚さんには役人になってほしいと願っていたようです。
菅智潤猊下。真言宗善通寺派管長。総本山善通寺第58世法主。
- 実際に神童だったと聞いています。
幼いころから両親に「貴物」と呼ばれるほどに大事に育てられ、とにかく賢く、語学にも長けていたそうです。
- 高僧になる芽生えは幼少期からあったのでしょうか。
基本的に資料はほとんど残っていませんから、伝承をたよりにするしかありません。絵伝なんかを見てみますと、朝廷から派遣されて讃岐の国にやってきた役人が、道端で遊ぶ真魚さんの姿を見て、急に馬から降りて恭しく礼拝をしたと描かれています。
絵伝を開く管長猊下。
『四天王の守護』。馬を下りた役人には真魚少年を守る四天王の姿が見えたという。
捨身ヶ嶽の話も有名です。7歳の時に仏道に進むことを決めた真魚さんは、自身を試すために誓いとともに高い崖から身を投じます。するとお釈迦さまと天女さまが現われて、真魚さんをしっかりと受けとめられたそうです。これがもとになってできたお寺が73番札所の出釈迦寺です。こうした伝説がいまでも語り継がれているのは、真魚さんが幼少期から仏さまへの敬虔さを持ち合わせていたからかもしれません。
- 18歳で大学に進んだものの、わずか1年でドロップアウトして、山岳修行に入ります。
大学を卒業して役人になるか、それとも仏道に進むか。その葛藤に苦しむものの、真魚さんは仏道を選びます。そして「虚空蔵求聞持法」(虚空蔵菩薩のご真言を100万回唱える修行)を経て、密教に着目されたのでしょう。室戸岬の洞窟にこもって修行をしているときに、口に明星が飛び込んできたそうです。その時、目の前に広がる空と海を見て、自らを空海と名乗りました。
室戸岬から拝む太平洋。眼前には、空と海しかない。
努力×天才×衆生救済。空海を空海たらしめるもの
- 真魚から空海へ。そこから先の活躍は目覚ましいものがあります。
24歳の時に出家宣言と言える『聾瞽指帰』を書き、のちに「三筆」と讃えられることとなる書道と詩文の才能をいかんなく発揮します。そして空白の7年間を経て、31歳で遣唐使として、4艘のうち2艘が遭難する中、無事に入唐。真言密教第七祖の恵果阿闍梨は、数千人の弟子を飛び越して、日本からやって来たばかりのお大師さまを次の正統後継者に指名します。お大師さまは即座に灌頂(※)を授けられ、20年の留学期間をわずか2年に縮めて帰国。その後は日本国内で真言密教の教えを広めます。
※「灌頂」とは、師が弟子に戒律や奥義を授けること。
- お大師さまの歩みは、マンガの題材にできるほどにダイナミックでドラマチックです。生まれながらの才能に恵まれた人なのだなという印象を受けます。
もちろんそうですね。ただ、才能以上に努力をされた方です。『聾瞽指帰』の中にも、勉強中に睡魔が襲ってくると、足にキリを当ててでも勉強を続けたと書かれています。四国での山岳修行もそれはそれは過酷だったことでしょう。
- 努力を積んだ天才。でも、お大師さまのすごみはこれに加えて「衆生救済」をかけ算されたところではと感じます。どうしてお大師さまは、その才能と努力を、人々の救済のために振り向けたのでしょうか。
そもそも真言密教の教えが衆生救済を大切にしていますからね。恵果阿闍梨の教えも、ただ拝むだけではなく、「行動に移せ」「人々を救え」というものでした。お大師さまの詩文をまとめた『性霊集』を読んでみても、大学を辞めて山林を駆けめぐる中で、市井に暮らす人、底辺に生きる人たちの協力を得る一方で、その人たちのために供養をしたと書かれています。
- のちにお大師さまは、仏教の伝道だけでなく、治水事業や学校の設立など、人々のリアルな暮らしをよくする取り組みを積極的に行います。その根っこにも、真言密教の教えがあるのですね。
四国遍路は道が聖地
- お大師さまを慕う人はいまでもあとを絶えません。四国遍路は日本が世界に誇る巡礼道です。取材の直前にも、境内で遍路服に身を包む台湾の方とお話しました。
四国はどんな人でも受け入れます。宗教宗派も、国籍も問いません。私も毎月「月遍路」をやっています。一年かけて一周まわって、今年で21周目です。明日がお遍路となると、気持ちが高ぶってくるものです。
- 猊下は、お遍路の魅力をどのあたりに感じますか?
やはり人とのふれあいでしょう。四国遍路には「お接待」という文化があります。どこの誰かも分からないお遍路さんに対して、食べ物や、お金や、寝る場所を施す。する方もされる方も心が満たされる素晴らしい文化です。
- 私も二十歳の時に歩いて一周させていただいたので、お接待のありがたさ、あたたかさは、いまでも身体の中に染み込んでいます。
四国を一巡まわったあとに、二巡、三巡する人も少なくありません。話を聞いてみると、お接待してくれた人に恩返しをしたいという方が多いですね。
取材当日も、たくさんの人が善通寺にお参りに来ていた。
- お遍路のよいところは、どこから始めてどこで終えても構わないし、何周まわってもいいところですよね。
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラなど、世界中に巡礼道はありますが、四国のようにぐるぐるまわる巡礼道は珍しいようですね。
- 猊下は約50年もの長い間、善通寺に携わっておられます。きっとさまざまなお遍路さんを目にしてきたかと思いますが、半世紀経って、お参りの方々に変化を感じますか?
お遍路さん自身に大きな変化はないですね。みなさんそれぞれの想いを持って、お参りに来られています。ただ、全体の傾向として家族連れが増えてきましたし、若い女性のお参りも多くなってきたように思います。また、最近はヨーロッパ、特に北欧からのお参りが目立ちますね。先日も、スウェーデンから30人ものお遍路さんがやってきました。向こうのテレビ局が取材に来たこともあり、お遍路がそこまで浸透しているのかとびっくりしました。
- 外国の方々はお遍路に何を求めているとお感じですか。
まさに歩くことではないでしょうか。見ていると、お参りは手を合わせる程度。歩くことに重点を置かれているように思えます。すでにスペインの巡礼道を歩いている人も少なくなく、次は日本の巡礼を体験してみよう、という感じでしょうか。みなさん必ず大きな荷物を背負っておられます。
- お寺よりも、歩くことに価値を?
そう感じますね。あちらの聖地はきっと教会です。でも、四国遍路は、お寺とお寺をつなぐ道こそが聖地です。
歩きと祈り
- 道こそが聖地。深く納得します。
善通寺は、児童養護施設を運営しています。そこには虐待を理由に入所する子どもたちが少なくありません。こうした子たちはどうしても荒れ気味で、心理状態がよくない。そこでどうしたらいいかと考えて、歩き遍路を始めたんです。すると、子どもたちの状態がよくなっていきました。
- すごいですね。その理由はどこにあると思われますか?
施設の中だと、なかなか先生との間に会話が生まれなかったのが、一緒に歩いていると自然と会話が生まれて、やがて突っ込んだ話もできるようになったのです。いまでは逆に、子どもたちからお遍路に行きたいという声があがっています。すごいなあと、思いますね。
- 自然の中を歩くことで、自身と向き合い、そして先生とのコミュニケーションも深まるのですね。
はい。それに加えて、お参りがあることが大事なのかもしれませんね。
- たしかにただのハイキングとは違って、お遍路には、札所があり、祈りがあります。祈りの大切さを、猊下はどのようにお考えですか?
お遍路に限らず、お大師さまの著作を読んでいると、拝むこと、祈ることをとても大事にされておられます。天皇から高野山にいるお大師さまに「相談があるから京都まで来てほしい」という手紙を再三送られても、「いや、私は期限を決めて祈っているから京都には帰れません」と断りの手紙を出しているほどです。お大師さまは、祈りの気持ちやエネルギーを衆生救済に向けることを何よりも大切にされていたのです。
- お遍路をしてみるだけで、歩きと祈りを同時に体感できます。
いまの日本人は、仕事や学校など目の前のことに一生懸命になりすぎています。そんな人たちには、まずはいっぺんお遍路をしてみてほしいですね。四国の自然の中で、人のあたたかさに触れて、自分を見つめ直すことができます。通しで一周は大変でも、札所を区切って、少しずつでもいいので、歩いてみてほしいですね。
お大師さまがいるのは両親あってのこと
- 善通寺は真魚少年ご誕生の場所です。1250年という記念の年を機会に、これから善通寺として取り組んでいくこと、善通寺だからこそできることなどはありますか?
家族のつながりの大切さを伝えていきたいですね。お大師さまという立派な方が生まれたのも、ご両親あってのことです。真言宗のお寺は日本全国にたくさんありますが、ご両親像があるのは善通寺だけですからね。
善通寺に安置されるご両親像。1250年を記念して修復、彩色を施した。上が真魚少年。右が父の佐伯直田公善通。左が母の玉寄御前。善通寺という名前は、父の「善通」に由来する。
- 1250年前を生きたお大師さまの教えは、現代を生きる私たちにどのようなものをもたらせてくれるのでしょうか。
真言宗そのものが、いろいろな宗教を取り込んで、いいところをうまく総合的に編集してできあがりました。地球環境や世界平和など、世界中が連帯することが求められていますが、そんな時こそ、真言密教の包摂的な曼荼羅思想がうまく当てはまるように思います。世界の人々が一丸となり、尊重しあう世界が実現するよう、微力ですが、善通寺も世界平和のために祈り、その実現のためにみなさんと一緒に力を合わせて参ります。
- 世界平和の第一歩は家族の和合からですよね。私たち素心は、仏壇やお墓を扱う会社です。最後に猊下から、お仏壇やお墓の大切さについて、一言いただければと思います。
核家族化が進み、親子が別れて暮らすようになると、仏壇の承継が難しくなります。そうすると暮らしの中から祈る場所、敬う施設がなくなってしまいます。お大師様も言われていたように、まずは祈ることが大切です。どんなに小さなものでも構いません。まずは家にお仏壇を置いて、手を合わせていただきたいですね。素心さんも、若い人が好むようなモダンでコンパクトなものをもっと用意してあげてくださいね。
- 最後は弊社へのお言葉、ありがたく受け止めます。本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。