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どうして「南無阿弥陀仏」はありがたい?- 布教使に訊く“六字のことば”が持つ力(後編|布教使に会いに行く)
南無阿弥陀仏
たった六字のこのことばが
どんな人でも、救ってくれる。
頭じゃなんとなく
分かるけど
心が半歩、追いつけない。
通夜布教の取材から
そんな感覚を抱きながら
どう記事にまとめようかと
思案したまま8カ月。
秋、冬、春と
季節は移ろい
親鸞聖人850回目の
お誕生日という大切な日が
やってきました。
この記事は
筆者による、筆者のための
「南無阿弥陀仏」を探す旅。
もしもその答えに
出会えたならば
私だけでなく
あなたの心にも
やさしく響いてくれるはず。
そんな確信めいたものを胸に
あの夜、演壇に立った
布教使の先生を訪ねて
このように問いました。
どうして「南無阿弥陀仏」は
ありがたいのですか?
※この記事は、浄土真宗の素人である筆者が、その教えの本質に迫っていく模様を描いています。教義や解釈にズレがあるかもしれません。あらかじめご了承下さい。
※「前編|通夜布教をお聴聞」をまだお読みでない方はこちらから。
お寺は仏さまに守られている場所
宰務清子さん(金照寺坊守・加古川市)。前年度まで「布教研究専従職員」として、ひと月の内10日は京都の本山・西本願寺に、月に一度は東京の築地本願寺に出向するほどの多忙を極めた布教使です。
そんな宰務さんに、まずはご自身と仏教との出会いについて話を伺いました。
宰務清子さん(金照寺・加古川市)
「学生時代は、お寺に生まれたことが苦しかったんです。オウム真理教が凶悪犯罪を起こし、社会全体が『宗教』ということばに過敏になっていた時代。学校でも『お寺も宗教だ』『人が死んだらお金が入る』などとからかわれていました。大学でも上手くいかず、就職先でも業績に追われる日々。心がポキンと折れかかりそうになった時、前住職である父からの紹介で、ひろさちやさん(仏教思想家)の阿弥陀如来にまつわる本に出会いました」
オウム事件が起きた時、筆者は14歳でした。あの事件ではじめて『宗教』ということばを知り、そして社会全体が悪意を持ってこのことばを多用していたことを覚えています。
宗教的なものが忌避される時代に、その反動としてもてはやされたのが、資本主義経済とテクノロジー。働くこと、稼ぐこと、明るく生きることを社会全体がもてはやす。若き日の筆者にも、そこについていけないことの焦りと違和感があったからこそ、宰務さんの次のことばに深く共感します。
「がんばらなあかん。キラキラせなあかん。褒められなあかん。そう思ってずっとがんばり続けてましたけど、その本には『しんどいのが人間だ』と書いてありました。しんどくて大丈夫なんや、と。救われる想いでした」
高校生の時に得度(僧侶になるための儀式)を受けていた宰務さんは、このタイミングで本格的に僧侶として生きていくことを決意します。しかも、自坊を守るだけにはとどまらず、布教使の活動にも取り組むのは、よき師との出会いがあったからだと話します。
「宗門の僧侶養成機関である中央仏教学院で貴島信行先生(龍谷大学教授)とご縁をいただきます。先生は、自分の至らないところを包み隠さずおっしゃる方で、それがとてもさわやかでした。力が抜けてるお姿ひとつで、こちらに幸せと安らぎを与えて下さる。私もそんな布教使になりたいなあと思ったのです」
通夜布教当日の宰務さん。御絵伝をスライドショーに映し出し、親鸞聖人の生涯の一場面「熊野霊告」の話をする。
布教使になりたての頃は、仏さまとの出会いの喜びを素直に法話にしていたという宰務さん。「でもそれは独りよがりだったかもしれません」と振り返ります。
「まわりの布教使の先生方、特に香光布教団の団長をされていた多田満之先生には、そのことを無言のうちに教えていただいているようでした。布教使になって10年近く経ち、結婚や出産を経たころ、はじめて『最近、法話がよくなってきたね』と声をかけて下さいました。人生経験を積むことで、法話に力みがとれたのだろうとその時に気づかされました。何より、遠くから見守って下さっていたことが、ものすごく嬉しかったですね」
香光布教団団長の多田満之師。通夜布教の開催が決まった直後、2022年7月1日に往生された。
お待ち受け法要は多田団長の追悼の空気に包まれた。会場には肖像画の掛け軸が掛けられ、誰もがその遺徳を偲んだ。
宰務さんは、仏さまのありがたさを次のように話します。
「仏さまの前って、自分が自分でいられる場所だと思うんです。みんな普段は肩肘張って一生懸命生きてますけど、しんどいことがあったときに、お寺に来て、仏さまの声に耳を傾けてほしい。お寺は仏さまに守られている場所。ここに来たらすごく落ち着きますよ。しんどくって、当たり前。そのしんどいあなたこそが大事なんですって、仏さまはおっしゃってる。そのやさしさを、布教使としてお届けしていきたいです」
そして、宰務さんに問いました。「南無阿弥陀仏の六文字は、どうしてありがたいのですか?」
南無阿弥陀仏を称えることで、阿弥陀さまとともに人生を生き抜くことができるからです。阿弥陀さまは無量(はかりしれない)存在です。私たちは在り方も、思いも、有限です。
阿弥陀さまは私たちの在り方を悲しみ、「放って置けない、仏と成ってほしい」と願い、南無阿弥陀仏を私たちに届けて下さいました。私たちは、小さな心しか持てませんが、阿弥陀さまの願いを聞き、量りしれないお心とともに生きてゆけるのです。
そして、有限である人間という境涯から解放された時に、自と他を区別することのない仏と成ります。仏として、いのちある者を護り、仏道への縁となります。いのちを終えることは悲しいことです。しかし、新たな仏としての始まりであると知ると、いのちの行き先を心配する必要はありません。それを、いまよろこぶのです。だから、南無阿弥陀仏を「ありがたいな、もったいないな」とお称えするのです。
南無阿弥陀仏は、未来を知らされ今を生きる道
「いま当たり前にあるものが、いつかは消えてなくなる。いまは元気なこの自分の命も、必ず死んでいかねばならないという大問題をかかえています」
開口一番このように話し出したのは安楽寺の黒田真隆住職(宍粟市)。目をそむけたくなる。でも、避けがたい現実。
「この世のものは、ことごとく必ず壊れてしまう。固い信念だって。だから若い人もそうでない人も、壊れないものを求めているのです」
黒田真隆住職(安楽寺・宍粟市)
いつかやって来る死という人間最大の恐怖。この恐怖を克服するために、2500年前、お釈迦さまは前人未到の過酷な苦行に挑み、やがて悟りを開いたと言われています。
「でも、多くの人たちは苦行なんてできない。そんな弱い私たちに対して、お釈迦さまは自力ではなく他力でも救われることを教えてくれました。他力とは仏さまの願力のこと。その仏さまこそが、阿弥陀仏なのです」
このように語り、黒田さんが隣の部屋から持ってきたのは、まさに苦行の果てに、骨と皮だけになってしまったお釈迦さま。その姿に息を吞み、「これだけの苦行と瞑想で悟ったお釈迦様が“他力で救われる”と言って下さっている。説得力が違うでしょう」という黒田さんのことばに、思わず頷きます。
沙羅双樹の木で彫刻された釈迦苦行像。黒田さん自身が聖地・ブッダガヤで購入したもの。
若き日の親鸞も、比叡山に上り、20年もの長い期間、ひたすら自力による救いを目指しましたが、ついにその願いは叶いませんでした。
黒田さんは、「修行を積めば積むほど、さらに深い闇が見えたのでしょう」と、『歎異抄』(親鸞のことばを弟子がまとめたとされる書物)の中の一説を教えてくれます。
さるべき業縁のもよおさば
いかなるふるまいもすべし
「どんな人間であれ、しかるべき“業縁”がすべて整ってしまうと、してはならないこともしでかしてしまうかもしれない。親鸞聖人は、その種を自分の中に見られたのです」
煩悩を断ち切る行をすればするほど、自分の中の″業の種”がくっきりと見えてくる。その絶望からも目を背けない生真面目で苦悩に満ちた親鸞という青年が、800年という時を超えて筆者の前に現れます。
通夜布教では「信行両座」の話をした黒田さん。
山を下りた親鸞は、阿弥陀仏に出会います。ここで、「阿弥陀仏の救いを勘違いしてはいけない」と、黒田さんは強調します。
「『自分が自分の救いを願う』のではなく、『阿弥陀仏があなたの救いを願われている』んですよ」
「自分が」ではなく「阿弥陀仏が」。このダイナミックな主語の逆転が、親鸞の深淵に光を差し込みます。
家でも、学校でも、職場でも、自分がどうなりたいか、自分がどう考えるか、自分がどうがんばるかと、すべて自分自身による努力の先にこそ幸せがある。そんな価値観の中で生きてきたように思います。
でも、800年続く親鸞の教えは、「自分が」から始まるあらゆる価値観を、気持ちいいまでにひっくり返してくれます。
約2時間、黒田さんの話に必死に食らいついた私は、「浄土真宗の教えはたしかにやさしくて分かりやすい。でも、奥が深くて難しいですね」と、率直な感想を伝えたあと、「南無阿弥陀仏の六文字は、どうしてありがたいのですか?」と、問いました。
それはね、「南無阿弥陀仏」が、今の自分のありのままを照らして育て、未来を知らせてくれるはたらきだからです。死は誰にも必ずやって来る避けがたい恐怖。でも阿弥陀仏は、本願を信じて「南無阿弥陀仏」と称える者を必ず極楽往生させると誓われています。明るい未来が約束されることで、今が明るく照らされる。未来を保証してくれる南無阿弥陀仏は、人類最高の宝物ですよ。
終始穏やかに取材に応じてくれた黒田さん。阿弥陀仏の本願力を信じている人の明るさを、そこに見た想いがします。
「南無阿弥陀仏」が仏さまです。手を合わせて、お念仏を称えるそのお姿は、すでに救われているお姿なんです。玉川さん。あなただって、もうすでに救われる身にしてもらっているんです。お聴聞を通じて、そのいわれに耳を傾けてみてください。
昔の人も今の人も、悩みや苦しみはきっと同じ
通夜布教の発起人で、自らのお寺を会所(法要を開催する場所のこと)とした法性寺の池本史朗住職(姫路市)。さまざまな苦労があったものの、「やってよかった」と当日を振り返ります。
池本史朗住職(姫路市・法性寺)
「夜に法要をするのは警備などの問題もあって、大変なんですけど、夜にこそ意味があるんかなと思うんです。人間って夜が好きでしょう。大みそかにクリスマスイブ。大切な人を送り出すお葬式も、通夜では夜通し故人を偲びます。夜の没入感っていうのが、あるんです」
たしかに通夜布教のお聴聞の″お味わい”は、眠気と疲労と妙な興奮の入り混じる、深夜独特のものでした。
「寝たい人は寝たらええ。あのグダグダ感がええんですわ」と池本さん。法話の内容もさることながら、同じ時間を同じ場所で過ごすこと自体に意味があるのかもしれません。
とはいえ、当日は予想外に多くの人がお聴聞に来られました。その驚きは、池本さんも同じだったようです。
「団員らとも『はじめこそ熱心に聴いてもらえるやろうけど、深夜になると僕らしかおらんやろなあ』と話してました。でもいざ始めてみるとそんなことはない。たくさんの方が、真夜中でも熱心にお聴聞して下さった。中には大阪の高槻からわざわざ来られた方もいて、夕方6時から朝の6時まで、ずっと椅子に座って聴かれていましたからね」
池本さんは大トリ。一番最後に演壇に立ち、通夜布教を締めくくった。時刻は朝6時をまわり、それでもこれだけの数の人が熱心に耳を傾けていた。
阿弥陀仏とともに生きることのありがたさを、池本さんは「親」という字にたとえます。
「親という字は、『木の上に立って見る』と書くでしょう。それくらい遠くから、高いところから、見守るくらいの方が、子どもは育つんです」
筆者も二児の父。ついつい子どもたちのそばで「ああだ」「こうだ」と構いがちの毎日です。
「最近の子どもらを見てますと、大人からいい子に見られようとがんばってますよね。なのに親はどうしても、『あれせなあかん』『これしたらあかん』と注文をつけてしまう。これだと子どもが委縮して、周りの目や他人の評価ばかりを気にしてしまいます」
親も人間、子も人間。どうしても目先のことに捉われてしまう気持ちが痛いほど分かる。だからこそ、ひとつ高いところに阿弥陀仏という大きな存在を持つことで、いくぶんか楽になれるのかもしれない。池本さんの話を聴きながら、そんなことを考えます。
35名による夜通しのリレー法話は、朝の6時過ぎに無事に終了。最後は法性寺本堂で晨朝(朝のおつとめ)を営んだ。
「仏さまの存在があると、自分が謙虚になる。最近の人たちは、なんでも『自分がせなあかん』『自分はこんだけできる』って思いこむでしょう。でもね、いつか頭を打つときがあるんです。そして挫折して、立ち直れなくなって、しまいには人間否定に陥ってしまう」
昔も今も、人間の悩みや苦しみは大して変わらない。だからこそ、親鸞の教えは800年という長い時間軸で慕われ続けているのだろう。
「そうですね。昔も今も人間は弱い。でも弱いからといってそれは決してダメなんかじゃない。ダメな自分も仏さまにお任せできる。それが南無阿弥陀仏の教えです。僕ら子どものころから、自分の努力で成功したらイコール幸せみたいに教わるじゃないですか。でも努力できない人もいるし、努力をしても報われない時だってあるわけですからね」
仏さまの存在に気付くことで、こうも楽になれるのだろうか。終始優しく、そして易しく語ってくれた池本さん。そのやさしさは、毎日仏さまに向き合っているから醸し出されているのかもしれません。
「みんな弱いし、そんな自分に正直でいたい。でもなかなかさらけ出せんもんです。親鸞聖人はそこをさらけ出し、その先に阿弥陀仏のお救いがあった。今の時代、念仏の教えはすごく求められると思いますけど、今って、なかなか自分をさらけ出せない時代ですよね」
どうして、さらけ出せないのでしょうか?
「そうやねえ…。それこそ、周りの目や他人の評価を気にするからでしょうね。親でいいんです。親で。木の上立って、遠くから見守る。それくらいがきっとちょうどいいし、それこそが阿弥陀さま。もっとみんなが自分をさらけ出せるよう、僕らも布教をがんばらなあかんね」
最後に池本さんに、聞いてみました。
「南無阿弥陀仏の六文字は、どうしてありがたいのですか?」
私とともにいらっしゃるからじゃないですか。南無阿弥陀仏ということば自体が仏さんやし、それが口から出てくるということは、一緒にいてくれていることの証。常に一緒、ずっと一緒にいてくれる仏さまが、南無阿弥陀仏なんです。
南無阿弥陀仏は、すでに救われている姿を表す
南無阿弥陀仏の六文字が意味するところを、ここで筆者が結論付けるのはおこがましいでしょう。
ただ、3名の布教使のお話を直接うかがえたことで、筆者の心のモヤモヤが晴れやかになったことは間違いありません。その晴れやかさをもってして、なんとか記事をまとめることができました。
「南無阿弥陀仏」がどうしてこうもありがたがられているのか、私は私の中で、その一端を掴めた気がします。
でも、布教使の先生が仏さまの教えをお取次ぎしているのと同じように、この記事はあくまでもお取次ぎ。最後は自分自身で南無阿弥陀仏にアクセスすることが大切ですし、きっとそうあるべきなのでしょう。
この記事をきっかけに、お寺に足を運んでみて、お坊さんの話を聴いてみて、あなたの中の「南無阿弥陀仏」が見つかれば幸いです。
今日は、親鸞聖人850回目のお誕生日。
親鸞さん。ありがとうございます。あなたのおかげで、私はいまここにこうしていられます。
合掌。なまんだぶつ。
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取材・構成・文 玉川将人
※この記事内には、浄土真宗の教義や歩みに対して、筆者独自の解釈が含まれている場合があります。正しい教義や歩みについては、真宗僧侶の方々などを通じて、ご自身で受け止めていただければ幸いです。