下書き

こんな自分を受け入れる生き方|若新雄純、僧侶への想い in 武田正文の仏心チャンネル(前編)

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NEET株式会社
鯖江市役所JK課
ゆるい就職
テレビコメンテーターでもおなじみの
若新雄純さん。

「永遠の思春期を生きる自意識過剰の中二病」
このように自認する
若新さん得度の一報は
またたく間に
仏教界をざわつかさせました。

即座に対談企画を実現させたのは
お坊さんYouTuberで臨床心理士の
武田正文さん。

独自の視点で仏教に向き合う
ふたりの僧侶の対談から
現代人の苦しみと
仏教の可能性を探ります。

前編は、若新さんの僧侶への想いです。

仏教との出会いは、YOSHIKIのドラムを超えるほどの衝撃でした。

武田正文さん(以下:武田) ようこそお参りくださいました。武田正文の仏心チャンネル。今日は、浄土真宗の僧侶になられたばかりの若新雄純さんをお招きして、僧侶になられた想いや、仏教のこれからの可能性について伺っていこうかと思います。

若新雄純さん(以下:若新) 僧侶になったばかりで、末席にいるべき私の話をたくさんの先輩僧侶の方々に聴いていただくなんて恐縮すぎます。今日はこちらの方がいろいろ学べる時間にできればと思います。

武田 若新さんは慶應義塾大学の先生でありながら、テレビなどのメディアにも出られて、いろいろな事業も手がけられる実業家でもある。どのようにご紹介すべきか、とても難しいです。

若新 中高生の時にロックバンドの人が「オレたちをジャンルで括らないでくれ」と怒っている姿を見て、とてもカッコいいなと思っていて、日本社会は何者かをはっきりさせなきゃいけないところがある中で、今もあいまいであることにこだわっているところはありますね。

武田 まさにそれを実践しておられるのですね。

若新 たとえば僕が大学に籍を置いているのも、自由に人生を生きていくためでもあるんです。日本人は大学が好きですから。家柄よりも学歴を重んじるところすらある。そう考えるとお寺って最強の保守で、伝統仏教への社会の信頼は、やはりすごいものがあると思います。

武田 なるほど。その発想はなかったなあ。とはいえ、学歴も僧籍も狙って獲れるものじゃありません。僧侶になられたのは、仏教に興味があったからですか?

若新 大学院で人間関係や心理学の研究をしていたのですが、それらを突き詰めた先に仏教の「空」の思想に出会いました。昔の人はこんな面白いコンセプトの発明をしていたのかと衝撃を受けました。X JAPANのYOSHIKIのドラムが透明だったのと同じくらい、いや、それ以上の衝撃でした。

「X JAPANとの出会いが人生を変えた」と話す若新さんによる『紅』のドラムコピー。(動画は若新さんのYouTubeチャンネルより)

武田 それはすごい。どのあたりに衝撃を受けられたのですか?

若新 日本における人間心理学の権威でもある諸富祥彦先生が本の中で、現代人が虚しさ、孤独、不安と向き合う中で空のコンセプトが大切だと書かれていて、それが西洋発の学問を学ぶ僕にはものすごく興味深かったです。それから、笑い飯の哲夫さんの本や、芥川賞作家の僧侶である玄侑宗久さんの本などを読む中で、仏教って面白いなと思って、いろいろ調べていきました。僕たち現代人はうじゃうじゃやって「元気出そうぜ」的なテーマをよく掲げますが、それらが全部チープに思えてしまった。

武田 仏教はスケールが違いますもんね。

若新 そうなんですよ。浄土真宗的な「他力」というのは、僕の中で「宇宙的な視点に立つ」という風に置き換えるようになって、この他力を信じることで人間として生きていく上で必ず生じる縛りや囚われと楽に向き合えるようになった。そうか、これが信じるというシステムの力なのかと、感心しました。そして、このあたりの話を深めていくと空や諸法無我にもつながって、ああ、こっちの方が面白いぞと感じ始めたんです。

武田 はい。

若新 すると親鸞聖人についても興味が沸いてくる。どんなに修行を積んでも悟れない自分の弱さ、愚かさ、限界も、他力という大きな視点で見れば前向きに捉えることができるし、前向きな姿勢こそが大事なんだということに気づきました。大昔にこんなことを考えて体系化した人がいたんだあと、すごいもんだと、思いました。

お前らは、全員カスでゴミ。

武田 きちんと仏教の本質を捉えた上で僧侶になられている。仏教を通じて独自の活動をしたいとか、そうしたビジョンや想いがあるのですか?

若新 いやいや。きっとみなさんが思っている以上に社会的に何かしようっていうのはなくて、僕が僧侶になったのは自分自身の問題なんです。田舎に生まれて、慶應出て、バラを咥えて踊って、テレビにも出てお金稼いで、ポルシェ乗り回してタワマンに住んでも、結局「三つ子の魂百まで」じゃないですけど、欲望の質は何も変わらず、煩悩も消えない。

武田 まるで親鸞聖人が仰ってるようなことですね。

若新 はい。僕も同じだなと思いました。小さい時から勉強できて、親や周りにすげえチヤホヤされて、特別じゃなきゃいけないとか、完璧な素晴らしい人生を歩まなければいけないという思い込みが僕の原点としてある。これが拭おうと思っても拭えない。嫉妬心も強い。いまこうしてテレビに出ててもいつか若い子に追い越されるんじゃないかという不安。過剰な自意識。見返りを求めるさもしい心。こういうのが嫌であれこれ悩んで、いろんな本を読んでみる。でも最後に辿り着いたのは、やっぱり自分がこんな自分の人生を生きるということを受け入れるしかないんだなということ。それを悟った時は、光が見えたのと同時に絶望もしました。しんどい人生が続くなあと。

若新雄純さん

武田 「NEET株式会社」や「鯖江市役所JK課」などの取り組みを見ていても、独自の視点で面白いことをされているから、きっと仏教に関しても同じような姿勢で取り組まれるのかと思っていたのですが、ご自身の問題なのですね。

若新 ニートの会社をやっている時、そこに集まるニートたちがみんな自分を見てほしいと求めてくるんです。「なあ若新、俺らの方が優れているよね」「あいつの方が悪いぞ」「俺らの方が選ばれるべきだよね」と。それで僕、悩んで悩んで出した結論が、「お前ら、全員カスだし、全員ゴミだよ」と。

武田 すごい。

若新 究極の居場所って、誰にも選ばれない、誰とも差をつけないことだと思っていて。だから彼らには「お前ら等しくカスでゴミなんだよ。俺の方がいいよねとか言って生き残ろうとしなくても大丈夫だよ」と伝えました。でもそれは自分自身へのメッセージでもある。僕自身も名もなきゴミのような存在として生きているけど、それでも自分の人生を受け入れることでしか救われないんだと思います。

武田 親鸞聖人も、誰もが愚かな凡夫だと説かれています。

若新 誰もが排除されない場所というものを考えたときに、「全員を認める」「全員が天才」「全員が神の子」っていうのは嘘くさくて信じられない。「全員ゴミでいい」の方がしっくりきます。

自意識過剰のお釈迦様とセレブの苦しみ

武田 親鸞聖人は人間の絶望、救えない自分というものを立脚点にして、それまでの仏教を根本からひっくり返した方。若新さんのようにいろいろひっくり返している方に浄土真宗がぴったりです。でも、もともとはもっと仏教の根本の「空」の思想から考察を深められているのがとても興味深いです。

若新 僕の直感として、お釈迦さまってとんでもなく自意識過剰な人。余計なことばっかり考えている人なんだなと思っていて。過剰な自意識から2500年も続く思想が生まれたのだろうと、僕は解釈したんです。

武田 面白いですね。心理学と科学の根本的に違う点です。科学や心理学は客観、つまり外からの観察に重きを置く。それに対して仏教は主観、私がどう救われるか、私がどう変化するか。でもそれを「過剰な自意識」と考えたことはなかったですね。言われてみると、お釈迦様も過剰な自意識が育まれそうな環境で育ちましたし…。完全なるセレブですもんね。

若新 そうなんですよ!

武田正文さん

武田 六道輪廻の「天」ってあるじゃないすか。あれはきっとセレブの世界のことじゃないかなと私は思っていて、そして現代人はみんなセレブを享受して、天の世界を生きている。今の時代はエアコンもテレビもお風呂もある。これって当時のインド社会を考えたらお釈迦様レベルのセレブリティを僕たちは生きているようなものです。そしてセレブの世界では寿命が延びて、その分最期の苦しみがものすごく増すのだと言われている。今の我々も多分そうなっていて、便利になっている分、どこまでいい人生を送れるか、どこまで成功できるかと、もっともっとと求めてしまう世の中。その先には苦しみしかなくて、それを救えるのは仏教しかないと考えています。

若新 成功しないと価値がないというのはとても大きな苦しみで、でもいまの社会や教育はその成功を目指している。「自己肯定感」という言葉は本来はアメリカでは「セルフエスティーム」と言われているもので、価値があるから肯定するのではなく、価値があるとかないとか以前にすべての存在が保証されるべきだというのが大事なテーマ。

武田 はい。

若新 「全員カスでゴミ」と言ったのもそういう意味で。株式会社NEETは、こいつを稼げるやつにするとか、一人前にするとかじゃなくて、「ずっとどうしようもない奴だけど、いたかったらいてもいいよ」という場所が作れるかどうかの社会実験なんです。

武田 仏教の場合、セルフエスティームが自分の中から沸いてくるのではなくて、仏さまから保証されている。自己肯定感が大事だからと言って「自分で自信を持たなきゃ」ってなると、どこまでいっても不十分で苦しみが続きます。

若新 仏さまの力を信じるか信じないかにもよりますけど、他力という考え方は自力で物事を考えても限界があるってことを上手に相対的に説明したものすごい発明です。長い生命の中でみたら今の自分なんてちっぽけだってよく言いますけど、そういう宇宙的な視点を日常に置き換えた凄い捉え方だと思う。自分で自分の人生をなんとかできるっていう発想はセレブな時代を生きる人間を苦しめるだろうなあ。

自己実現とは「諦め」

若新 結局人は思い通りにいかないというか、「諦め」という話ですよね。大学院の時の僕のボスが仏教の諦めというコンセプトは自己実現と同じなのだと。

武田 はいはい。なるほど。

若新 つまりそれは明らかな「見極め」なんです。なりたい自分になるという自己実現だけじゃなくて、自分が自分として生まれてきて引き受けなければならないものをいかに引き受けていくか。たとえば、才能、能力、容姿、環境、すべてそうですよね。そういうものを受容していく中で、これが自分らしいんじゃないかという形ができ上がっていくのだと思うんです。

武田 それは本当に素晴らしい考え方だなあと思います。

若新 大学生の時はひたすらバラの造花を咥えて踊っていました。「ナルシスト饗宴」って言うんですけど。テーマは「自分を抱きしめる」。自分自身はどうしたって変えられないから、社会や親が期待する自分になる前の、今ここにいる自分を受け入れようという自己愛とふざけたテーマを重ねてやっていました。まあ、だれも理解していなかったと思うんですけど。僕の中ではあれは自分自身を受け入れる、つまり諦める取り組みだったと思います。そしたら得度を受けた際に山元派からいただいた僕の法名の中に「諦」の文字が入っていて!

武田 釋諦純、ですよね。

若新 そうです。これを見たときは衝撃を受けました。

武田 まさに若新さんが大事にされているテーマが法名に。山元派のご門主様は若新さんの想いをご存じだったのですか?

若新 いえ、何も話していません。だからこその衝撃でしたよ。


後編はこちらから。

※この対談は、浄土真宗本願寺派僧侶・武田正文さんのYouTubeチャンネル『武田正文の仏心チャンネル』内にて特別配信され、その模様を素心・こころねが取材、配信しています。


▶若新雄純プロフィール
浄土真宗山元派 證誠寺僧侶。株式会社NEWYOUTH 代表取締役。慶應義塾大学 大学院政策・メディア研究科 特任准教授。国立福井大学 産学官連携本部 客員准教授。著書に『創造的脱力~かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論~』(光文社新書)。「ワイド!スクランブル」(テレビ朝日)「ABEMA Prime」(AbemaTV)などメディア出演や講演実績多数。

▶武田正文プロフィール
浄土真宗本願寺派 高善寺副住職。臨床心理士。スクールカウンセラー。広島大学客員講師。YouTubeチャンネル「武田正文の仏心チャンネル」はチャンネル登録者数1万人越え。


構成・文 玉川将人