Article読み物
仏さまのもとで結ばれたふたり|YOUはどうして仏教に?(長場聡さん・百合子さん)
真宗の教えが
失意のわたしを
支えてくれました。
彼女が信じる仏教を
一緒に拝んでみようと
思いました。
仏さまによるご縁と
教えに導かれ、結ばれた
長場聡さんと百合子さん。
ふたりの間に芽生えた
仏さまとともにある
日々の喜び。
その心温まる物語を
お届けします。
安らぎを求めて辿り着いたお寺という場所
――まずはお二人と仏教との出会いについて教えてもらえますか。
長場百合子さん わたしはもともとお仏壇のある家に生まれ、頂き物は必ず仏さまにお供えする、そんな環境で育ちました。16歳の時に祖父母が立て続けに亡くなり、葬儀や法事でお坊さんの法話を聴く機会があり、そこで「ああ、お坊さんのお話っていいなあ」と思うようになりました。お経は何を言っているのか分からなかったですけど、法話の時間はその頃から好きでした。
長場聡さん わたしの人生において仏教の影響はほとんどありませんでした。ただ、読書が好きなので、仏教に関する有名な本は読んでいました。入門書中心ですが、『歎異抄』や、道元禅師の『正法眼蔵』などですね。本格的な仏教とのご縁は、妻との出会いが始まりです。
百合子さん お聴聞(僧侶の法話を聞くためにお寺にお参りすること)を始めたのはここ数年です。きっかけは父を失い、恋人を亡くしたことです。お寺にお参りすることで、なんとか心を鎮めようとしたのだと思います。コロナ禍はお寺参りそのものができませんでしたので、兄の勧めで、YouTubeなどインターネット上で法話をされるお坊さんにたくさんアクセスするようになりました。
YouTube法話との出会い
百合子さん そんな中で、舟川智也先生(福岡県 両徳寺住職)の動画に出逢いました。舟川先生は、その語り口がやさしいだけでなく、一人ひとりに語り掛けるようなあたたかさがありました。YouTubeにコメントを残したときも、どこの誰か知らない人にこんな丁寧に返信をしてくださるという驚きと同時に、安らぎも覚えました。
聡さん ちょうどそのころ、同じ職場に勤めていた妻と付き合い始めるようになって、鎌倉に出かけたことがありました。その帰りの電車の中でお互いに影響を受けた人の話題になって、そこで妻が舟川先生の名前を出したんです。「へえ、そんな人がいるんだ」と。
取材当日は、大阪市の津村別院(北御堂)で舟川智也師(写真右)の法話会が行われた。
百合子さん コロナ禍がある程度落ち着いた2022年6月、舟川先生が築地本願寺で自主法話会をされるということで、さっそく主人を誘いました。わたしたちは普段東京に住んでいますが、福岡にお住まいの舟川先生が東京に来られるなんて、またとない機会でしたから。
聡さん わたしにとっては生まれてはじめての体験です。みんながいきなり、息を合わせたかのように一斉に恭しくお経本を持ち上げて、読経を始める。形式的な儀式を見よう見まねでしながら、「これはとんでもないところに来てしまったな」と思ったものです。でも、舟川先生の法話を聴くととても心に沁みるお話で、こんなにも心が安らぐ場所があることに、喜びと驚きを感じました。
ーー 心に沁みたというのは、具体的にどのような感じだったのですか?
聡さん 自分が日々の暮らしで取り繕っていることを見透かされているようで、その奥にある「ほんとうのこと」が語られているように感じました。また、妻の気持ちになってお話を聴いている自分もいました。「彼女はこの教え、やさしい語り、お寺というおだやかな場所に救われていたんだな」と。そのことがありがたかったですね。
結婚式は築地本願寺にて仏前結婚式として執り行われた。司婚者は舟川住職が務めた。
亡き恋人への誓い
百合子さん 恋人は、わたしにプロポーズしてくれた2日後に亡くなったんです。こんな悲しいことってあるのだろうかと、失意のどん底にあっても、不思議と涙が出ず、ただ「南無阿弥陀仏」とお念仏だけが出てきました。真宗に「倶会一処」ということばがあります。大切な人と浄土で必ずまた会えるんだというこの教えがわたしを支えてくれましたし、主人もその教えに共感してくれました。
聡さん そのことは付き合い出したあとに聞きました。妻の辛さはもちろんですが、不憫にも息を引き取らざるを得なかった恋人のことも考えました。プロポーズをした直後に亡くなってしまうだなんて、とても辛く、苦しく、悔しく、不安だったろうなと。
百合子さん 主人にすべてのことを話したら、「そんな悲しい経験をしたなら、幸せにならないとね」と言ってくれました。さらに、主人から「お墓参りに行こう」と言ってくれて。そして恋人の墓前で「百合子さんのことをお任せください」と誓ってくれました。それはとてもありがたいことですけど、こんなわたしの人生に巻き込んでしまっていいのだろうかという想いは、いまでもあります。
聡さん わたしは巻き込まれたのではなく、ご縁がつながったと思っています。いまの世の中では、自分で決めて、自分で選び取っていくことが大切だと言われがちですが、ご縁に導かれるように選ばされる生き方も、それはそれで豊かな人生と言えるのではないでしょうか。
法話会に先立って、合掌礼拝をする聡さんと百合子さん。口からは自然と「南無阿弥陀仏」のお念仏が称えられる。
選ばされる生き方。ともにある喜び
ーー「選ぶ」のではなく、「選ばされている」という受け止め方は、とっても真宗的ですよね。それは百合子さんと出会ってから得られたものですか?
聡さん そうですね。これまで教養としてしか知らなかった仏教が、妻と出会ったことで、より深く身体の中にしみ込んだ感じがします。仏教は寛容な世界。「こうでなくてはならない」「ああしなきゃいけない」というのがない。いろんなことを広く受け止めてくれる懐の深さが、救いになってくれています。
百合子さん たどたどしかった主人のお念仏も、最近は自然と「南無阿弥陀仏」と口から出て、それがとってもうれしいですね。過去の出来事のすべてが今につながって自分を形づくっていると思います。仏前での結婚式のときは、先に亡くなった大切な人たちにも見守られている気がしました。今は信頼できるパートナーと仏さまと、ともにある日々に、喜びを感じています。
取材・撮影・文 玉川将人