こころね

こんな自分を受け入れて生きていくために|若新雄純、僧侶への想い in 武田正文の仏心チャンネル(前編)

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わかしんが僧侶に⁉
テレビコメンテーターとしてもおなじみの
若新雄純さん得度の一報は
仏教界をざわつかせました。

なぜ僧侶に?
仏教界で何をする?

即座に対談企画を実現させたのは
お坊さんYouTuberで臨床心理士の
武田正文さん。

独自のスタンスで仏教に向き合う
おふたりのやりとりから
現代人の苦しみと
仏教の可能性を考えます。

※この対談は、令和4年2月16日にYouTube『武田正文の仏心チャンネル』内にて特別配信されたものを、素心『こころね』が取材、記事化いたしました。

仏教との出会いは、YOSHIKIのドラムを超えるほどの衝撃でした。

武田正文さん(以下:武田) ようこそお参りくださいました。武田正文の仏心チャンネル。今日は、浄土真宗山元派の僧侶になられたばかりの若新雄純さんをお招きして、僧侶への想いや、仏教の未来や可能性について伺っていこうかと思います。

若新雄純さん(以下:若新) 僧侶になったばかりで、末席にいるべき私の話をたくさんの先輩僧侶の方々に聴いていただくなんて恐縮すぎます。今日はこちらの方がいろいろ学べる時間にできればと思います。

武田 若新さんは慶應義塾大学の先生、テレビコメンテーター、実業家など、いろいろな顔をお持ちです。どのようにご紹介すべきか、とても難しいです。

若新 中高生の時にロックバンドの人が「オレたちをジャンルで括らないでくれ」と怒っている姿を見て、あれがとてもカッコよくて、あいまいであることにこだわっています。

武田 そして今度は僧侶に。そもそも仏教に興味があったとか?

若新 大学院で人間関係や心理学の研究をしていたのですが、それらを突き詰めた先に仏教の思想に行きついて。昔の人はこんな面白いコンセプトの発明をしていたのかと、X JAPANのYOSHIKIのドラムが透明だったのと同じくらい、いや、それ以上の衝撃を受けました。

「X JAPANとの出会いが人生を変えた」と話す若新さんによる『紅』のドラムコピー。(動画は若新さんのYouTubeチャンネルより)

武田 それは興味深い(笑)どのあたりに衝撃を受けられたのですか?

若新 西洋発の学問と比べて仏教はスケールが格段に大きかったんです。当時の僕は浄土真宗的な「他力」を「宇宙的な視点に立つ」という風に置き換えました。

武田 浄土真宗の他力とは人まかせや無責任という意味ではなく、阿弥陀如来の働きのことです。自力による悟りを目指して厳しい修行を重ねてきた親鸞聖人は、その自力の限界を知り、他力に身をゆだねることを説かれていきました。

若新 他力(=仏の力)を信じることで、人間として生きていく上で必ず生じる縛りや囚われと楽に向き合えるようになった。「そうか、これが信じるというシステムの力なのか」と感心して、こっちの方が面白いぞと感じ始めたんです。

武田 宇宙的な視点、つまりは仏さまからの視点で物事に向き合うことで、生きることが楽になったのですね。

若新 はい。すると親鸞聖人本人についても興味が沸いてくる。どんなに修行を積んでも悟れない自分の弱さや愚かさも、他力という大きな視点で見れば前向きに捉えることができるし、前向きな姿勢こそが大事なんだということに気づかされました。大昔にこんなことを考えて体系化した人がいたんだなと、これはすごいもんだと、仏教への探求が始まりました。

全員、カスでゴミ。

武田 きちんと仏教の本質を捉えた上で僧侶になられている。若新さんは未来を見据える力がものすごくおありで、その上でユニークな社会実験を展開されている。僧侶になったのも、仏教を通じて独自の活動をしたいとか、そうしたビジョンや想いがあったからですか?

若新 いやいや。きっとみなさんが思っている以上に社会的に何かしようっていうのはなくて、僕が僧侶になったのは自分自身の問題なんです。テレビにも出てそれなりのお金もいただいて、いい思いをさせてもらっても、結局「三つ子の魂百まで」じゃないですけど、欲望の質は何も変わらず、煩悩も消えない。

武田 親鸞聖人も同じようなことを仰っています。

若新 小さい時から勉強できて、親や周りにすげえチヤホヤされて、特別じゃなきゃいけないとか、完璧な素晴らしい人生を歩まなければいけないという思い込みが僕の原点としてある。これが拭おうと思っても拭えきれないんです。嫉妬心も強い。いまこうしてテレビに出ててもいつか若い子に追い越されるんじゃないかという不安。過剰な自意識。見返りを求めるさもしい心。こういうのが嫌であれこれ悩んで、いろんな本を読んでみる。でも最後に辿り着いたのは、やっぱり自分がこんな自分の人生を生きるということを受け入れるしかないんだなということ。それを悟った時は、光が見えたのと同時に絶望もしました。しんどい人生が続くなあと。

若新雄純さん

武田 なるほど。社会課題よりもご自身の内面の問題だったのですね。まず自身が愚かであることを受け入れられた。

若新 ニートの会社をやっている時、そこに集まるニートたちがみんな自分を見てほしいと求めてくるんです。「なあ若新、俺らの方が優れているよね」「あいつの方が悪いぞ」「俺らの方が選ばれるべきだよね」と。それで僕、悩んで悩んで出した結論が、「お前ら、全員カスだし、全員ゴミだよ」と。

武田 すごい。

若新 究極の居場所って、誰にも選ばれない、誰とも差をつけないことだと思っていて。だから彼らには「お前ら等しくカスでゴミなんだよ。俺の方がいいよねとか言って生き残ろうとしなくても大丈夫だよ」と伝えました。でもそれは自分自身へのメッセージでもある。僕自身も名もなきゴミのような存在として生きているけど、それでも自分の人生を受け入れることでしか救われないんだと思います。

武田 まさに浄土真宗の核となる教えです。親鸞聖人も、誰もが愚かな凡夫だと説かれています。

若新 誰もが排除されない場所というものを考えたときに、「全員を認める」「全員が天才」「全員が神の子」っていうのは嘘くさくて信じられない。「全員ゴミでいい」の方がしっくりきます。

自意識過剰のお釈迦様とセレブの苦しみ

武田 お釈迦様は王子様として生まれて未来を約束された境遇にありながら、人間とは、生きるとは、苦しみとはと、自身の内面やこの世界について深く深く探求された。親鸞聖人も煩悩を振り払うことのできない自分自身にこれでもかと固執しました。

若新 お釈迦さまってとんでもなく自意識過剰な人。余計なことばっかり考えている人なんだなと思っていて。2500年も続く仏教思想は、その過剰な自意識から生まれたのだろうと僕は解釈しています。

武田 おもしろい捉え方ですね。それって科学と宗教の根本的に違う点です。科学や心理学は客観。つまり外からの観察に重きを置く。それに対して仏教は主観。「私がどう救われるか」「私がどう変化するか」がテーマになる。お釈迦様も過剰な自意識が育まれそうな環境で育ちましたし…。完全なるセレブですもんね。

若新 そうなんですよね。王子様として考えなくてもいい余計なことをあれこれ考えてきたのだと思います。

武田正文さん

武田 仏教には六道輪廻という世界観があります。人間道の上には天道という世界があることになっていて、僕はこれをきっとセレブの世界のことじゃないかなと思っています。そして、現代は家の中にエアコンもテレビもお風呂もあって、当時のインド社会から考えるとお城に生まれたお釈迦様レベルのセレブリティを僕たちは生きているようなものです。でも便利になっている分、いい人生やよりよい成功を求めてしまう世の中。その先には苦しみしかなくて、それを救えるのは仏教しかないかなと…。

若新 成功しないと価値がないというのはとても大きな苦しみで、でもいまの社会や教育はその成功を目指している。「自己肯定感」という言葉は本来はアメリカでは「セルフエスティーム」と言われているもので、価値があるから肯定するのではなく、価値があるとかないとか以前にすべての存在が保証されるべきだと考えるものです。

武田 はい。

若新 「全員カスでゴミ」と言ったのもそういう意味で。株式会社NEETは、こいつを稼げるやつにするとか、一人前にするとかじゃなくて、「ずっとどうしようもない奴だけど、いたかったらいてもいいよ」という場所を作れるかどうかの社会実験なんです。

武田 仏教の場合、セルフエスティームが自分の中から沸いてくるのではなくて、仏さまから保証されている。若新さんの言う「宇宙的な視点」とはそういう意味ですよね。自己肯定感が大事だからと言って「自分で自信を持たなきゃ」ってなると、どこまでいっても不十分で、苦しみが続きます。

若新 自分で自分の人生をなんとかできるっていうセレブ的な発想は、苦しいですよ。

自己実現とは「諦め」

若新 結局人は思い通りにいかない。すると「諦め」がとても大切なテーマになってくる。大学院の時の僕のボスが仏教の諦めというコンセプトは自己実現と同じなのだと。

武田 はいはい。なるほど。

若新 なりたい自分になるという自己実現だけじゃなくて、自分が自分として生まれてきたことをいかに引き受けていくか。才能、能力、容姿、環境、すべてそうですよね。そういうものを受容していく中で、これが自分らしいんじゃないかという形ができ上がっていくのだと思うんです。

武田 それは本当に素晴らしい考え方だなあと思います。

若新 何がすごいって、得度を受けた際に山元派からいただいた僕の法名の中に「諦」の文字が入っていたんですよ!

武田 釋諦純、ですもんね。

若新 そうです。これはこれで大きな衝撃を受けました。

武田 まさに若新さんが大事にされているテーマが法名に。山元派のご門主様は若新さんの想いをご存じだったのですか?

若新 いえ、何も話していません。だからこその衝撃でしたよ。


自分自身の愚かさを受け入れることから始まった若新さんの仏門への歩み。後編では、現代社会の中で仏教ができることについて語ります。

正しさへの疑い、すぐに答えや正解を求めてしまう現代社会への警鐘、死の問題、うじうじ考えることのカッコよさなどなど。さらにディープな後編はこちらからどうぞ。

『答えのないことを考えることのカッコよさ|若新雄純、僧侶への想い in 武田正文の仏心チャンネル(後編)』


▶若新雄純プロフィール
浄土真宗山元派 證誠寺僧侶。株式会社NEWYOUTH 代表取締役。慶應義塾大学 大学院政策・メディア研究科 特任准教授。国立福井大学 産学官連携本部 客員准教授。著書に『創造的脱力~かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論~』(光文社新書)。「ワイド!スクランブル」(テレビ朝日)「ABEMA Prime」(AbemaTV)などメディア出演や講演実績多数。

▶武田正文プロフィール
浄土真宗本願寺派 高善寺副住職。臨床心理士。スクールカウンセラー。広島大学●●学部客員教授。YouTubeチャンネル「武田正文の仏心チャンネル」はチャンネル登録者数1万人越え。


構成・文 玉川将人