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2024.07.25

死の際から放たれるクリエイティブ【ファンタジー仏壇制作秘話】匠工芸・折井匠さん&桃井鈴さんロングインタビュー(後編)

死の際から放たれるクリエイティブ【ファンタジー仏壇制作秘話】匠工芸・折井匠さん&桃井鈴さんロングインタビュー(後編)

匠工芸のウェブサイトには
次のようなことばが綴られています。

「匠工芸の想いはシンプルです。
それは世界中に
ワクワクの輪を広げること」

しかし、
その想いの出発点は
壮絶な日々でした。

21歳でがんを患い
死と隣合わせに生きる
折井匠さん。

20歳で父と死別し
己のみを信じて闘う
桃井鈴さん。

匠工芸のプロダクトは
死の淵から放たれる
クリエイティブ。

地獄の日々
生きることへの問い
そこで掴んだ死生観と
ふたりの奇跡の出会い。

死生観を持つことの強さを
数々のプロダクトで体現する
最強コンビへの
ロングインタビュー、後編です。

前編『オレの創った剣をお守りに存分に暴れてくれ!』がまだの方はこちらから。

病床で考え抜いた生きることの意味

素心 玉川(以下:玉川) 折井さんは21歳の時にがんを患っているのですよね。

匠工芸代表 折井匠さん(以下:折井) そうなんです。

玉川 子どものころから病弱とか?

折井 いえ、健康そのものでした。スポーツもやってたし、やんちゃだったし。でも、高校卒業後に入社したプラスチック加工の会社の人に、「首に変な膨らみがあるよ」って言われて、なんかシコリがあるなあと思って病院に行ったら悪性腫瘍だったんです。

玉川 そうでしたか。

折井 抗がん剤治療をして、腫瘍を切除して、それでも再発してしまう。20代のうちに3回手術をして、ステージ3まで行き、「ああ、オレは29歳には死ぬんだ」と思い込んでいました。

玉川 人生これからって時なのに。

折井 自分の境遇を恨んで、寄り添ってくれる恋人をも突っぱねてしまい、あの頃は本当に心がすさんでましたね。

取材は、匠工芸さんの“武器屋”にて

折井さんは現在もがんと闘い続けている。画像は37歳の時に胃がんで手術入院した時のもの(画像提供:株式会社匠工芸)

折井 あれこれ考えるんですよね。「生きる意味って何やろか」「人は何のために生まれてきたんやろか」と。21歳でがんになってから、そらもう、何百回と、何千回と。むちゃくちゃ考えたんですよ。ほんまにむちゃくちゃ。考えて考えて考えぬいたのに、答えが出ないんです。

玉川 病気も苦しいはずなのに、生きる意味が見いだせないことがさらに苦しいですね。

折井 そう。そして、25歳の時にやっと答えが出ました。「意味なんか、ないんや」と。

玉川 やっと出た答えが、生きる意味なんてない…。

折井 そう。答えなんてないという答えに行きついた。でもそれは、「生きることに意味がないんだったら、自分のしたいことをやれよ」という新しい発想につながりました。

余命4年の起業独立

折井 何をやってもいいという自由がある一方で、オレは29歳できっと死んでしまう。あと4年しか時間がないのなら、やりたいことをやりまくって、死のうと考えました。

玉川 そこで折井さんは、なにをやりたいと思ったんですか?

折井 NCルーターっていう、自動でプラスチックを加工してくれる機械を買って、すばらしい製品をたくさん作りたいと思いました。でも、当時ぼくが勤めていた会社には、このNCルーターがなくて。だったら、自分で買って、起業独立しようと。

玉川 NCルーターを使うために起業独立。あと4年しか生きられないのに。

折井 そう。「もっと正確に加工したい」「もっとむずかしい仕事をしたい」っていう意欲がものすごく強くて。機械を操る姿は、『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイみたいだし、NCルーターを使ってモノづくりをするというのが、残された時間でぼくが生きたい人生だったんです。1000万円もするんですけどね。

創業時の匠工芸社屋。(画像提供:株式会社匠工芸)

玉川 1000万円⁉ まわりの反応は?

折井 全員から猛反対されました。そりゃあひどい反対でした。「頭ぶっ飛んでるわ」と。

玉川 まわりの人たちは折井さんのことを想って反対したのだと思いますが、そんな中でも、起業独立に突っ切ったんですね。

折井 自分が死ぬという、本当に人生最後の日を思い浮かべたんですよね。「ああすればよかった」「こうすればよかった」っていう後悔を絶対に残したくなかった。たとえやさしさで止めてくれようとも、これをしなきゃ後悔すると思ったものは、やると決めました。

玉川 1000万円のNCルーターの購入資金は?

折井 ないです。だから、1000万円の借金をしてからの、スタートなんです。

NCルーターは、創業時から折井さんと苦楽を共にした相棒だ。(画像提供:株式会社匠工芸)

地獄の底で剣を握りしめる

玉川 超絶ハードモードの起業独立ですね。

折井 そう。でもそこからが地獄でした。ほんま、これならがんの治療をしてた方がマシやんってくらいに。

玉川 経営がうまくいかない?

折井 もう、全然。NCルーターでいい製品は作れても、お客さんがいない。2008年に起業して、なんとか3年がんばっても、東日本大震災で仕事が全部止まったり。みんなが反対した意味が身に染みました。最後は、起業の時にお世話になった中小企業診断士の先生に「廃業して、死にます」って言ったほどです。

玉川 あんなに、いつ死ぬかと苦しんでいた折井さんが、この時は自ら死のうと…。

折井 みんなの反対を押し切ってしたことですから、途中で弱音なんて吐けなかったんです。でも、極限状態のぼくに対して診断士の先生は「3年続いたんやからもう少しがんばれば」と言ってくれて、なんとか自死は踏みとどまりました。

工場内に掲げられたスローガン

玉川 それでも、地獄の日々は続きますよね。

折井 従業員もやめていっちゃうし、とにかく心に余裕がない。そこで「オレ、何を楽しみにこれまで生きてきたんかなあ」って考えたんですよ。バイトしてたこと、不良してたこと、部活で活躍してたこと、友達と遊んでたこと、いろいろ思い出す中で、子どものころに夢中だったゲームやアニメのことが自分の中で蘇ってきたんです。「子どものころにドラクエやったなあ」「部屋の中でひとり、ガンプラ作ってたなあ」と。

玉川 そこで、武器にたどり着くんですね。

折井 そう。心がワクワクするもの。NCルーターで作れるもの。余計な予算をかけないもの。そしてただの趣味ではなくちゃんとビジネスとして成立するもの。限られた条件下で何ができるかを考えまくったんです。

玉川 自暴自棄にもならず、趣味にも走らず、好きなことを追い求めつつも、きちんとビジネスにこだわった。すばらしいです。

折井 すると、倉庫の奥に、看板の元板の余りものがいっぱいあることに気づいて。幅10センチくらいで使い物にならないけど、剣なら作れるぞと。

玉川 地獄の底に差し込んだ一筋の光明ですね。

折井 はじめてデザインして作ったのが、このファイアドレイクソードです。

匠工芸代表・折井匠さん。手に持つのは、匠工芸第1号の武器・ファイアドレイクソード

玉川 これを作って、握りしめて、どんな気持ちでしたか?

折井 「カッコええ!」って。子どものころ、川に落ちてる枝を持って、勇者の気分になったあの頃の感じ。そして何十年の時を経て、いまのオレには加工技術とNCルーターがある。「めちゃくちゃカッコいいじゃん、オレ!」って。

玉川 たったひとり、工場で。

折井 そう、たったひとり工場で。でも、どんなにカッコよくても、売上は立たない。だから、こっからもまだまだしんどいんです。

“武器屋”には、折井さんが命を削って手がけたたくさんの武器やアイテムが並ぶ。

「パネェ。おっさん、神やな」

玉川 剣がはじめて日の目を見たのはいつなんですか?

折井 剣ってどこで売れるのかと、パソコンで「剣 必要 どこ」と検索してたら、コスプレイベントなるものがあることを知って、そこに持って行ったら、いたんです。

玉川 いた? だれが?

折井 桃井鈴が。

玉川 そうですか。折井さんの剣を見た桃井さんの第一声は?

折井 「パネェ。おっさん、神やな」と。

玉川 パネェ、と。

折井 そう! パネェ、と。

匠工芸副代表 桃井鈴さん(以下:桃井) でも、はじめは怪しいオッサンだったんですよ。不愛想だし。

二人がはじめて出会った日を懐かしそうに振り返る折井さんと桃井さん。ちなみに「パネェ」とは、「半端ない」のスラング。

玉川 そうでしたか。

桃井 映像モニターにガンダムが流れて、「これおもしろいですよね」って言ったら、不愛想に「自分、ガンダム知っとん?」って。知っとるわい、と。

折井 まさか、こんな若い子が昭和のガンダムを知ってるわけないやろうと、思ったんですよね。

桃井 帰り際に「わたし、コスプレが趣味で、死ぬまでにシャア・アズナブルの衣装を着たいんです」とだけ言ったら、「連絡先教えて」って。こわいじゃないですか(笑)

玉川 30代のオッサンが、ですもんね。

桃井 その日の夜に、当時持ってたパカパカのガラケーに、3スクロールくらいの長いメールが届いて。こわいなあと思いながらも、不器用な文面の中に、なにかパッションを感じたんですよね。

自死を踏みとどめてくれた恩師

玉川 折井さんと出会ったのは、桃井さんが何歳のころだったのですか?

桃井 社会人3年目。21歳の時でした。

玉川 コスプレはいつから?

桃井 高1の、16歳からです。

玉川 またなんでコスプレを?

桃井 話せば長くなるんですけど…。いいのかな、この話して。

折井 いいよいいよ。

桃井 折井ほどではないですが、わたしも、死が身近にある半生を歩んできまして…。

玉川 そうだったんですか!?

桃井 15歳の時に父が倒れ、それ以降、家族が不和になってしまい、自分ひとりで生きていくんだってことを決めたんです。

玉川 桃井さんも壮絶ですね。

桃井 裕福な家庭に育ったものの、父が倒れてからは生活が一変しました。経済的に困窮し、家族同士で喧嘩も絶えなくなって、人間不信にも陥った。何度も自死を試みました。

玉川 そうでしたか。

桃井 でも、ある時思ったんです。自分で死のうと思えばいつでも死ねる。死は人間の持つ最大のオプションじゃないかと。だったら無理にいま死を選択しなくてもいいのではないかと。

玉川 生きることへの向き合い方を、ポジティブに転換されたのですね。

桃井 もちろん、そこに至るまでめちゃくちゃ辛い地獄の日々がありました。すぐ簡単に、というわけにはいきません。

玉川 何度も自死を試みたという桃井さんをこの世界につなぎとめたものは何だったのですか?

桃井 高校時代の先生に助けられました。定期的に面談をしていたんですけど、どんな時もわたしの話を聴いてくれて、否定をしなかったんですね。「そうかそうか、大変やな」と。

玉川 そうでしたか。

桃井 メンタルにもかなりムラがあった時期なので、扱いにくい生徒だったと思うのですが、上から諭すわけでもなく、腫れ物に触れるように接するわけでもなく、適度な距離感でわたしをひとりの人間として尊重してくれました。

玉川 桃井さんにとって、胸の内をはじめて開放することのできた大人だったのですね。

桃井 本当にそうですね。先生に当たり散らすこともあったのに、それもすべて受け止めてくれました。これまで家族も含めて、近くの大人がだれも味方になってくれないと思っていたので、こんな大人もおるんやなあと、ありがたかったですね。

玉川 どんなに辛い境遇にあっても、話を聴いてくれる大人がただひとりいるだけで、なんとか生きていけるのですね。

桃井 先生のおかげで、家庭や学校のような狭いコミュニティ以外にも、さらに大きな世界や多様な価値観があるんだろうなということが想像できたんです。そう思うと、死んでる場合じゃねえぞって(笑)

玉川 とはいえ、10代のうちにそのように切り替えられるのは、素直にすごいなと…。

桃井 とにかく家族から独立して、ひとりで生きていけるようになろうと努力しました。高校生の時も、ナレーション養成所に通ったりして、女が一人で生きていくためには何をしなければいけないかを調べて、ライフプランを組み立てて、実践したんです。先生にも「桃井はアホじゃない。努力ができるから大丈夫や」と肯定してもらったのは、大きな支えになりました。

玉川 きちんと高校を卒業して、公務員にもなられて。めちゃくちゃ堅実に歩まれていますよね。

桃井 はい。いまも老後資金をいかに蓄えるか、あくせくしています。

桃井さんの肩書は「事務兼営業兼モデル兼衣装製作兼副社長」。匠工芸の頭脳としてマルチタスクを一手に担う。(画像提供:株式会社匠工芸)

コスプレ少女の選択

玉川 恩師となる先生との出会いと、コスプレを始めたのは、同じ時期?

桃井 そうですね。コスプレの方が、ちょっとだけ早いかな。

玉川 コスプレを始めたきっかけは?

桃井 ナレーションの養成所にいたコスプレが趣味の友達に誘われて、一緒にイベントに参加したんです。そしたら、みんながわたしに声をかけて、写真を撮ってくれるんです。そうか、人は見かけなのかと(笑)

桃井さん制作の衣装「ショコラティ・メル」。コンセプトはチョコレートの擬人化。左手には折井さんが手掛けたフォークに見立てた武器「テネドール」。2017年に三重県伊勢市で行われた「伊勢菓子博」のコスプレコンテストでファイナリストに選出される。

玉川 そうでしたか。

桃井 それまではそんな経験なかったですし、人生のどん底期での体験ということもあり「これだ!」って思ったんです。

玉川 好きなキャラクターになりきるという変身願望は、リアルな現実からの逃避だったりするのですか?

桃井 そういう側面もたしかにあります。でも、同じ価値観を共有する人同士のコミュニティを、リアルな日常と別の場所で持てることの方が大きいかもしれないですね。

玉川 なるほど!

桃井 コスプレイベントには、いろんな年代のいろんな属性の人が集まります。高2の女子が、はるか年上の大人たちと対等にコミュニケーションをとるなんて、学校のような狭いコミュニティの中だけだと絶対にできないですよね。そういう部分に惹かれたかと思います。

玉川 恩師の先生との出会いで感じた大きな世界や多様な価値観というものを、コスプレを通じて獲得したのですね。

桃井 そうですね。

折井 鈴ちゃんのすごいところは衣装も自分で作っちゃうところ。『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルの衣装も自分で作ってたよね。

玉川 めちゃくちゃストイックですよね。

桃井 学生時代に柔道をしていたこともあって、肩幅がめちゃ広いんです。そうすると既製品の中に体形に合った衣裳がない。だったら作っちゃおうと。

折井 鈴ちゃんが作った衣裳を着て、ぼくが作った剣やゴーグルを持ってもらって、それで企業PRをしてもらっていました。

桃井 当時わたしは加古川市の職員だったので、お金は一銭もいただかなかったんですけどね。

「コスプレモデルをする以上は見てくれる人を裏切ってはならない」と桃井さん。多忙な日々でも体型維持への努力を欠かさない。(画像提供:株式会社匠工芸)

玉川 堅実に生きてきた桃井さんが、なぜ、癌を患いつつ地を這うような経営をしている折井さんのもとに? めちゃハイリスクですよね。

折井 そうそう。公務員を辞めてまで。

桃井 いろんな理由が重なったんですけど、おもしろそうだったんですよね。もちろん、福利厚生の部分などはきっちりケアしてもらうことが条件でしたけど、でもそこも真摯に対応してくれましたし。

折井 というか、鈴ちゃんがうちの会社の福利厚生をすべて整備してくれたんですけどね(笑)

桃井 折井って、見ての通り本当にできないことがたくさんある人なんです。でも、折井の信条として「苦手なことは絶対にやらないし、させない」というのがあって、その軸はブレないんです。だから、匠工芸の事務仕事は、いまも全部わたしがやってます。

折井 本当に、すばらしいビジネスパートナーです。

絶対に否定しない

桃井 折井のすごいところは、どんなことばも否定しないんです。絶対に受け入れてくれます。たとえば、入社前の生意気なわたしが福利厚生の提案をした時も「そうかそうか、ぼくの知らないことを教えてくれてありがとう」みたいな感じで受け止めてくれるんですよね。

玉川 そうですか。

桃井 そこはいつだって変わりませんね。入社したころから、昨日も、今日も。

玉川 そのスタンスは、どこから来ているんですか?

折井 ぼくがたくさん否定されてきたからです。がんになった時も、起業の時も、起業したあとも、とにかく「あれしたい」「これしたい」と言ってもことごとく周りから否定されてきた。それが本当に悲しくて悲しくて。だからぼくは、否定したくないんです。絶対に、否定しない。

玉川 ひとりで生きていくんだと決めた桃井さんは、そんな折井さんの懐の深さに安心感を覚えたのでは?

桃井 うーん、どうですかね。でも、3か月に一回、折井とガチの喧嘩をする時も、いつも折井が折れてくれます。その懐の深さに甘えてしまっていますね。

玉川 ふと思ったんですけど、折井さんって、子どものころにドラクエやガンダムにはまったと言ってましたけど、そのおもしろさをはじめて理解してくれた相手って、もしかしたら桃井さんなのでは?

折井 言われてみたら、たしかに、そうかもですね。

玉川 剣をはじめて褒めてくれたのも、桃井さんですよね。

折井 そうです、そうです。

玉川 これだけ壮絶な状況下で生き抜いたふたりが出会い、お互いの足りない部分を補い合い、お互いに助け合っている。本当にすばらしいご縁をたぐり寄せ合ったのですね。

地獄を抜け出した匠工芸のブレイクは止まらない。横浜ビブレ、渋谷109、ラフォーレ原宿、大丸、阪神百貨店など、そうそうたる商業施設に“武器屋”を出店する。画像は2024年に大丸梅田店に出店したポップアップストア(画像提供:株式会社匠工芸)

2022年フランス・トゥールにて行われた「JAPAN TOURS FESTIVAL 2022」に出店。クリスタルキーホルダーを作るワークショップには連日長蛇の列ができた。(画像提供:株式会社匠工芸)

死の際から放たれるクリエイティブ

玉川 はじめてファンタジー仏壇を見た時に、「これは単なる奇抜な仏壇じゃなくて、供養の本質を捉えているのでは」と、なんとなく感じていたんです。それを自分なりに言語化もしていたんですが、今日こうやっておふたりとお話ができて、深く理解できました。

折井 うれしい。本当にありがとうございます。

桃井 ありがとうございます。

玉川 折井さんが、ファンタジー仏壇を制作するにあたり、「この剣をお守りに、思う存分暴れて来いよ!」というメッセージを込めた理由が、よく分かりました。

折井 うれしいです。

玉川 いまでこそ、世界中にワクワクの輪を広げるおふたりですが、そこには壮絶な過去と、血のにじむような努力がある。その凄みが、プロダクトとなって、多くの人の支持を集めているのだと思います。

折井 ぼくは癌になったことと引き換えに得たものがある。鈴ちゃんも大事な家族を失ったことで得たものがある。そこで得たものを、とても大事にしています。

桃井 地獄を見てきたからこそ、わたしたちは強いと思います。

玉川 まさに、死の際から這い上がった者が放つことのできるクリエイティブですね。死生観を持つことの強さとやさしさを感じます。

折井 うれしい! 今日はいい日だ。

匠工芸社訓「どんな夢でもかなえる魔法。それはあきらめないこと」

玉川 そんなおふたりに仏壇作りをお願いしたのも、うちの代表の嗅覚が働いたのかもしれませんね。折井さんや桃井さんの話を聞けば聞くほど、ファンタジー仏壇がよりすばらしいものに感じられます。

桃井 ともに語り、ともに死生観を交わし、この世界にただ一つのものとなるのが、ファンタジー仏壇です。

玉川 匠工芸さんとのコラボを、本当にうれしく思います。この記事を読んで興味が湧いた方は、まずは想いや声を聴かせてもらいたいですし、ここにいるわたしたちはその声を絶対に否定しない。

折井 絶対に否定しませんし、その想いをきちんとかたちにしていきます。

玉川 今日はありがとうございました。ともに、人に喜んでいただける仏壇作りをしていきましょう。

折井・桃井 ありがとうございます。


▶株式会社匠工芸公式ウェブサイトはこちらから。
▶「ファンタジー仏壇」特設サイトはこちらから。
▶ドイツメディア「RUPTLY」による動画ニュースはこちらから。折井さんと玉川が取材に応えています。


取材・撮影・文 玉川将人

 

 

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