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坊さん、お遍路を語る|『マイ遍路』著者・白川密成さんインタビュー(前編)
四国八十八箇所巡礼。
弘法大師を慕い
その足跡を巡る人は
1200年経ったいまも
あとを絶ちません。
57番札所・栄福寺の住職として
日々、お遍路さんを迎え入れる
白川密成さん。
2019年から始めた
お遍路の記録を
『マイ遍路』として刊行。
自身も二十歳の時に
四国を歩き遍路した
『こころね』玉川が
お遍路の魅力について
たっぷり伺いました。
※『マイ遍路』は、2023年に新潮社より刊行された白川密成さんの新刊。66日かけて歩いた旅の記録と、密成さんによる思索が本書の軸となっています。
『マイ遍路』。タイトルに込めた想い
― 四国八十八箇所の札所の住職でありながら、作家としてもご活躍の白川密成さんに直接お話を伺えるだなんて、本当に光栄です。今日はありがとうございます。
とんでもないです。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
― 今年(2023年)は弘法大師空海がお生まれになって1250年。こんな記念すべき年に著書『マイ遍路』を出版されるだなんて、すてきなご縁ですね。出版を想定されたお遍路だったんですか?
新潮社の担当編集者からは「本のための遍路はしないでほしいです」と言ってくれましたし、ぼくもそう思っていました。お遍路中に日記をつけて、写真もいっぱい撮って、それが結果的に本になるみたいな感じで作っていきました。でも、日記を文章にして、さらにそれを整えて本にしていくっていう作業がですね、いいんですよ。
― いい?
はい。遍路のことを思い出しながらことばを綴ることで、もう1回遍路を深めながら歩いている感じがします。
― ぼくも二十歳の時に歩きで四国を一周させてもらいましたけど、『マイ遍路』を読むことで、あの頃の思い出が鮮明によみがえってきました。
お遍路される方は、日記や写真で記録したものを、あとから自分なりにまとめるのもいいと思いますよ。ブログでも、noteでも。最近はネットプリントも簡単にできますし、ちょっとした本や写真集も作れちゃいます。もちろん、「ただお参りする」良さもありますけれど。
四国八十八カ所霊場第57番札所 栄福寺
― 密成さんご自身は、どんな読者を想定されてことばを綴られたのですか?
お遍路をした方や、興味を持たれている方はもちろんですが、なんとなく本の帯が気になって手にとってみたくらいのライトな興味の方にも読んでいただきたいなと。「へえ、遍路ってものが日本にあったんだ」くらいの感覚で知ってもらうだけでもありがたいですし、そういう人が読者の中心層になればいいなと今は思っています。
― 『マイ遍路』というタイトルも、おもしろいですよね。
遍路のかたちはさまざま。ひとり一人のお遍路があるはずですから、「This is the 四国遍路だ!」みたいなものにはしたくなかったですね。「白川密成の”マイ遍路”はこちらですよ〜」って感じでお届けするのがいいかなと。
お大師さんと地続きでつながれる
― 『マイ遍路』の中には、随所にお大師さんのことばが出てきます。これがすごくいいんですよね。
ありがとうございます。
― 密成さんは他の著書でも、お釈迦さまやお大師さんのことばを引用されていますけど、このスタイルのおかげで、いまを生きているぼくたちと1250年前を生きたお大師さんが地続きでつながっている感じがします。
出版にあたって、いろんな遍路本を読んでみたんですけど、お大師さんの生のことばを紹介してある本って、意外となくて…。ぼくが読んだ中では、今回の本のようにひとつの中心テーマとして、空海のことばを取り上げている本は、1冊もありませんでした。
― そうなんですか?
そう。でもこの本はお坊さん、しかも札所の住職が書いているわけじゃないですか。だから、読書を通じてお大師さんの生の言葉を知ってもらうのが、きっと読者にとって大きなギフトになるかなと。
― うんうん。大きなギフトでした。
ぼく自身、これまでほぼすべての著作でお大師さんのことばを引用しているので、そのスタイルの集大成として、もう一回弘法大師の著作を読み直しました。四国遍路を歩きながら響いてくる大師のことばは、今までとは少し違う感覚でしたね。
白川密成さん
― 分かりやすい現代語訳が添えられているので、素人のぼくでもとっても読みやすかったです。たとえば、8番熊谷寺を出発して9番法輪寺に向かう密成さんが、急ぐ気持ちがこみ上げる中、「ゆっくり歩こうぜ」と自らに言い聞かせるシーン(34ページ)。
はいはい。ありましたね。
― そこで「飛雷猶未だ動かず 蟄蚑封を開くに匪ず 巻舒一己に非ず 行蔵六龍に任す」というお大師さんのことばが引用されています。
それだけ読むと、むずかしいですよね。
― そうなんです。でもその隣に「雷がまだ鳴らない時は 冬眠中の虫も穴を出るわけにはいきません。退くか進むかも個人の問題ではありません。行くか留まるかは、時の流れに任せましょう 」と書かれている。これを読んでぼくは「密成さん、お大師さんと一緒でよかったね」という気分になりましたよ(笑)
そうですよね。現代の読者にとっては、漢文はほとんど意味がわからないので、「現代語訳」が大切ということは、デビュー作の『ボクは坊さん。』(ミシマ社)の時から、編集者とよく話したことでした。現代語を知った上で読むと、漢文もやはり格調高いというか、格好いいですしね。
お遍路のもうひとつの魅力・遍路宿
― 『マイ遍路』では、宿泊されたすべての宿の情報が書かれています。しかも宿の名前だけでなく、宿泊代金まで。これにはどんな意図があったのですか?
そうですよねぇ。すごく迷ったんです。
― といいますと?
「どこが7千円でした」「どこが1万4千円でした」というようなことを書くと、「坊さんがそんな下世話な話はするな」というツッコミが来るだろうと、容易に予想できたんです。
― ですよね。なのになぜ?
ひとつは、単純に読者の方が知りたがっているだろうなと。これからお遍路をしたい人にとって、予算って気になりますからね。あと、江戸時代にも遍路本って結構出版されているんですけど…。
― そうなんですね。
はい。そこには当時のお遍路の様子がくわしく記録されてて、金額のような具体的記述が結構おもしろいんです。橋の渡しにいくらとか、宿にいくらとか。だからぼくの本も、100年後や200年後の読者のために記録を残しておこうと、記載することに決めました。さいわい「あの宿がよかった」という声を、お遍路さんや僧侶の方からも多くいただきました(笑)
遍路道沿いには、こうした石の道しるべがたくさん置かれている。(写真提供:白川密成さん)
― 100年後の読者を想定しているだなんてすごいですよね。千年以上続いているお遍路だからこそ捉えられる時間軸ですね。
あとは、遍路宿の経営って、人口減の中でものすごく大変で、微力ながらそこを応援したいという気持ちもありました。お遍路において「遍路宿」の存在はかなり大切で、またとても豊かな文化だと思うんです。遍路宿がちょうどいい塩梅の場所にあってくれるから、身体を休めさせられます。
― そうですよね。
ほかにも、地元の食材で作られたごはんをいただくことで元気をもらいましたし、ぼくは遍路中にお酒を飲みませんでしたが、その土地の地酒を楽しみにされているお遍路さんもいました。
― 宿の方やお遍路さん同士など、人との出会いも生まれますよね。
そうですね。あと、逆に宿の中で過ごすひとりの静かな時間もまた有意義なんです。その日一日を振り返ったり、身体を横たえて仏教本を読んでみたり、純粋に身体を休めてみたり。お遍路って、お寺をどうお参りするかが注目されがちですけど、じつは宿で過ごす時間も、ものすごく大切なんだと、今回のお遍路で気づくことができました。
ネガもポジ。ポジもネガ。
― 四国を歩いていると、辛い時間、しんどい時間って多いじゃないですか。
そうですね。
― 足が痛いとか、荷物が重いとか、雨が降ってきたとか、密成さんも本の中で書かれていましたよね。
はい、書きましたね。
― でも、不思議と『マイ遍路』は全体を通じて楽しそうなんですよね。もちろんしんどい部分の描写もあるんですけど、そのあたりは意識されましたか?
うーん。それは、ぼくの性格というか、クセというか…。
― 読んでてすごいなあと思ったのは、密成さんのポジティブへの切り替え力。たとえば、23番薬王寺を出たあとに、土砂降りに見舞われて、納経帳がずぶ濡れになってしまったシーン(66ページ)。あそこがとても印象深くて…。
おお!そんなところをですか?
― はい。『むしろここから人生、やっていこうじゃないか』と、気持ちを切り替えられてるところです。
はいはい。
― 78番郷照寺をお参りしたあとも、自転車に乗ったおじいさんにいきなり「恥さらし!」と怒鳴られています(257ページ)。その時も理不尽な仕打ちを冷静に受け止められています。
ああ、たしかに。
白川密成さんの著書『マイ遍路』を携えての取材。
― こうしたネガティブな感情のポジティブへの切り替え力って、お遍路だからこそのものでしたか?
言われてみれば「あの人、イヤな感じ」で終わってもいいかもしれませんもんね。でもどうでしょうかね、うーん…。ぼくのもともとの性格に加えて、いいことも、悪いことも、それら丸ごとでお遍路を体験しようという思いはありましたね。「恥さらし!」と怒鳴られた時も、「ああ、とても大切な出来事だな」と感じましたね。びっくりしまたけど。
― イヤなことも含めてお遍路だよね、と。
はい。キラキラした「みんな人柄が良くて、善男善女の集まる四国遍路!」のような場所だったら、こんなに遍路を好きにはなってないと思います。また、観光ガイドのようにいいところだけを切り取るとしたら、ぼくが約1年もかけて1冊の本を書く必要はないんです。やはりどこかリアルな本にしたかった。
― なるほどなるほど。
あと、切り替え力という点で言うならば、ぼくってとても飽きっぽい性格なんですよ。
― そうなんですか? 飽きっぽさと切り替え力にどんな関係が?
ちょっと話が逸れますけど、飽きっぽいからこそ、文章を書けていると思うんです。
― といいますと?
「読者って基本的には飽きっぽいものだ」というのが、書き手としての基本姿勢で、そこをどうすれば飽きさせずに読み進めさせられるかというところが大事になってきます。だからこそ、自分の飽きっぽさが活きてくるんですよね。飽きっぽい人の考えていることが分かるからです(笑)
― なるほど。面白い!
そうやって考えてみると、飽きっぽいという一見短所とされる性格も長所になる。ネガはポジにもなるし、ポジはネガにもなりますね。要は、切れてないのかな。
― ネガはポジ。ポジはネガ。いいですね!
そもそも仏教では、ネガとポジ、善と悪、自と他、こうしたものを区別したり、対立させたり、しないじゃないですか。
― 「無分別」ともいいますよね。
はい。お大師さんも「六大無碍にして常に瑜伽なり」(地・水・火・風・空の五大(真理の物質面)と識大(真理の精神面)とは、互いに障碍なく交じり合い、永遠に融け合い一体化している)ということばを残されています。いろんなものが切れることなく連なっているという、まさに真言密教の教えの神髄です。
― 『マイ遍路』の中で見られた密成さんの切り替え力の根っこには、真言密教の教えがあったのですね。
険しい山道を歩くのもまた、お遍路の醍醐味である(写真提供:白川密成さん)
どうしてのんびり遊ばないのか?
― 今日こうしてお話してても、密成さんは常にニコニコされてて、その明るさや楽しさが著書にも表れていますよね。
ありがとうございます。でも、基本的に面白いものが好きで、つまらないものへの耐性が低いだけです(笑)
― たとえば、学生の時も、「人生の勝利者たれ」という先生のことばを「人生の焼き肉のたれ」と書いてしまったり…。(著書『ボクは坊さん』より)
あははは。きっと子どもなんです。子どもってそういうもんじゃないですか。
本棚に並ぶ密成さんの著書。
― 『マイ遍路』の中でも、お大師さんの「楽しみ」とか「遊び」というワードを意識的に引用されていますよね。
うんうん。そうですね。
― 21番太龍寺を下りる場面で引用されていた「自受法楽」ということば(59ページ)。まわりに教えを説くためというより、自分の楽しみのために法を説いているんだろうと、お大師さんに想いを馳せています。
はい。
― しかも最後は「咄哉 同志 なんぞ優遊せざる」(ああ志を同じくする者よ、どうしてのんびりと遊ばないのか)ということばを引用して本編を締めくくっています(281ページ)。密成さんもお大師さんと同じように、楽しさや遊びの部分を大事にされているのですね。
そうですね。ぼくにとってもお大師さんの大好きな部分ですよね。インドで生まれた密教って、お釈迦様の教えを受け継ぎつつ、土着の信仰を融合させながら大きくなってきました。だから、基本的なスタンスとして、いろんなものを区別せずに、包摂するんです。
― なるほど。
お大師さん自身もあまり敵を作るような人じゃなかったと言われていますし、「楽しむ」「遊ぶ」というのは、お大師さんという方を知る上でだいじな要素でしょうね。
― とても興味深いです。
もちろん厳密には仏教における「遊」に込められた意味合いは根本的に異なります。そもそも「遊」には、<本拠地を離れる>という意味があると、師の僧侶に教わったこともありますね。でも個人的には、弘法大師の心の奥には、深い意味で「プレイ」「遊ぶ」という感覚もあったのではと考えます。
― 仏教って、苦しみとどう向き合うか、というのが基本テーマだと思いますけど、そういう意味でもお大師さんはちょっと異彩を放っていますよね。明るくて、風通しがいい。
そうですね。苦しみにどう向き合うかというのは大切なテーマです。でも一方で、巡礼というのはある意味において昔から、まさに”遊び”の要素があったんだろうなってのは、実際に歩いてみて感じたことです。娯楽性があるからこそ、長く続いているし、海外からの参拝者も多いんでしょうね。やはり大がかりな移動の制限された社会、たとえば江戸時代なんかに四国を1周することは、信仰の旅でありながら、相当楽しかったと思うんです。
― 言われてみれば、そうかもしれないですね。実際にいまでもお遍路には、登山、ハイキング、キャンプ、寺社巡りなど、あらゆるレジャーが含まれてます。
しかも、四国っていろんな属性の人をごちゃまぜにして受け入れちゃいますよね。男性も女性も、若い方も高齢者も、日本人も外国人も。迷いや悩みを抱えた巡礼の方もいれば、観光を楽しんでおられる方も。お金をしっかり使う遍路もあれば、お金を持たない遍路もあります。こういう懐の深さ、おおらかさというのは、もしかしたらお大師さんの陽性の部分につながっているのかもしれませんね。
― お遍路が1200年も続く理由が分かってきたような気がします。
大切なのは、ただのレジャーだとしたら、遊園地やキャンプ場に行ってもいいわけで。「私は信心ではなくて」と言いながらも、四国遍路を訪れて手を合わせているそのことに、とても大きな意味があると思っているんです。
現代においても独特の展開を見せ始めている四国の仏教文化を、「四国仏教」と呼びたいような気持ちにさえなるのだ。(『マイ遍路』94ページより)
信仰と遊び。苦しさと楽しさ。密成さんと考えるお遍路の魅力。話はさらにディープになっていきます。後編に続きます。
1977年生まれ。第五十七番札所・栄福寺住職(愛媛県今治市)。真言宗僧侶。高野山大学密教学科卒業後、書店勤務などを経て、2001年より24歳で住職となる。また、同年から2008年の7年間、糸井重里主宰の「ほぼ日刊イトイ新聞」にてエッセイ「坊さん。」を231回にわたって連載。2010年のデビュー作『ボクは坊さん。』(ミシマ舎)は、2015年に映画化。その他の著書に『坊さん、父になる。』『坊さん、ぼーっとする。』(ともにミシマ舎)、『空海さんに聞いてみよう。』(徳間書店)などがある。
取材・文 玉川将人
撮影 粟生密有