Article読み物
何も手に入れなくていい。「ただ坐っているいのち」に出会う坐禅会|姫路市別所・安養寺(はりまの禅寺マップ 第1回)

播磨地域の禅寺を巡る旅
『はりまの禅寺マップ』
今回お邪魔したのは
姫路市別所町に佇む
曹洞宗の古刹
西來山安養寺。
草創からおよそ1300年にも及ぶ
姫路随一の歴史を誇るお寺です。
「坐禅では、何も求めずに
ただ坐る時間を大切にしてほしい」
と、語る羽賀孝行住職。
坐禅について、お寺について
たっぷりとお話しいただきました。
1300年続く祈りの地・安養寺
姫路市東部の別所エリア。かつての西国街道(山陽道)の面影をかすかに残すこの地に、里を見守る高台のお寺として安養寺は佇みます。
安養寺が開かれたのは西暦737年。聖武天皇の勅願によって開かれ、本尊の阿弥陀如来像は行基菩薩が彫り上げたものと伝わります。
「一切衆生を極楽世界安養浄土へ導く」ということから、山号を西來山(西は極楽浄土の方角)、寺号を安養寺と名付けられました。

安養寺山門
南北朝時代に、播磨国守護・赤松円心らによって禅宗の色彩を強めて隆盛を極めるものの、室町・戦国時代には幾度もの兵火に遭遇。羽柴秀吉の御着城攻めの際にも堂塔がことごとく焼失するという悲運に見舞われました。
しかし、そのたびに時代の人々の熱い信仰によって再建されてきた歴史があります。
1600年には、当時の住職であった堯山和尚の慈悲深い姿に感銘を受けた姫路城城主・池田輝政公より永代寄附が与えられ、1619年に曹洞宗寺院となり、今日に至ります。

山門をくぐると、本堂と大きなクスノキが私たちを出迎える。住職や奥様の「作務」により、境内はいつもきれいに整っています。
自死まで考えた青年期に差し込んだ一筋の光明
京都府舞鶴市で生まれた羽賀住職が出家を志した背景には、19歳の時に経験した深い苦悩がありました。
「獣医学部を目指して予備校の寮に入ったのですが、受験勉強がうまくいかず、1人部屋の中でどんどんマイナス思考に落ち込んでいきました。最終的には自ら命を絶とうと考えるところまで追い詰められたんです」
家族や友人に負担や迷惑をかけることしかできない自分には生きる価値がないと、暗闇の中にいた19歳の秋。たまたま書店で手に取ったのが、仏教の入門書でした。
「仏教にはじめて触れたとき、ハッと気付きました。自分に価値がないと感じていたのは他の誰でもない自分自身だったと。世界の方は最初から自分を否定なんてしていないと。この気づきはどん底にいる私を照らす一筋の光明でした。人生を根底からひっくり返すほどのパワーがありましたね」
この救いの体験をきっかけに、羽賀住職は19歳で出家を決意します。
真言宗、浄土真宗、日蓮宗など、さまざまな宗派の教えを学んだ先に、「苦悩の根源から目を背けず、自分自身の心と逃げずに向き合う修行をしたい」と、禅の道に進みます。

安養寺 羽賀孝行住職
父からの反対を受けつつも、母のあたたかい理解と後押しを得て、20歳で曹洞宗の宗門大学へ進学。在学中も、自らの原体験から自死問題に関心を抱き、学生ボランティアとして遺児の心のケアなどに没頭しました。
大学卒業後は、大本山永平寺や東京の曹洞宗総合研究センターなどで、のべ8年間にわたる厳しい修行期間を過ごします。
そんな羽賀住職に、人生の転機が訪れます。
2014年、師匠からの「姫路に行きなさい」という一言で、前住職が遷化(逝去)したあとの安養寺への入寺が決まったのです。
当時32歳。見知らぬ土地での、新しい歩みが始まりました。

雲水(修行僧)時代の羽賀住職。カンボジアの僧院にて(画像:本人提供)

カンボジアの子どもと戯れる雲水時代の羽賀住職(画像:本人提供)
“仏道修行”の入り口としての坐禅会
入寺から12年。羽賀住職は安養寺を「先祖供養のための檀家寺」と、誰もが禅の教えに触れられる「仏道修行のための道場」の両輪で育んできました。
その中心となるのが、定期的に開催されている坐禅会です。
安養寺の坐禅会で羽賀住職が何よりも大切にしているのは、仏道修行としての本質です。
「たとえ初心者の方でも、”体験”ではなく、”仏道修行”の入り口に立ってもらいたい」と羽賀住職。坐禅を始める前に、40分から50分ほどの時間をかけて、坐禅の作法や意味を丁寧に伝えます。その後、みんなでお経を読みます。
「坐禅の意味と型を理解してもらい、ご本尊にご挨拶をし、それから坐る。これらの基本を抜かしてしまうと、形だけの骨抜きになってしまいます」

本堂のホワイトボードに書かれた坐禅会のタイムスケジュール。「初心者指導」に40分もの時間を割いていることが分かります。

曹洞宗の坐禅は、壁に向かって坐ります。
安養寺の坐禅会は前半と後半の2部に分かれ、間に「経行」という作法が入ります。堂内をゆっくり歩いて、足をほぐすのです。
「仏道修行」とは言っても、そこまで厳しいわけではありません。初心者の方でも安心して坐れるよう、丁寧な説明や指導はもちろんのこと、マットや座布団、坐蒲など、膝を痛めない配慮もなされています。
「足の痛い人は半跏でも、イス坐禅でも構いません」と、羽賀住職。大切なのは、できるかたちで自分自身としっかりと向き合うことなのです。

坐禅会の時には、座布団と坐蒲が並べられる。
「多くの人が集まる坐禅体験もすばらしいですが、住職が一人でしっかりと目を配り、指導できる限界は10人前後だと感じています。うちは大々的な宣伝はしていませんが、口コミなどで毎回10人ほどの方が来られます。本物の修行を求める人が、静かに残ってくださっているのを感じますね」
何も手に入れなくていい。「ただ坐っているいのち」に出会う
羽賀住職に、2つの質問を投げかけてみました。
ひとつは、「無になるって、どういう感じなんですか?」というもの。
筆者が坐禅をすると、自分の内側からさまざまな雑念や煩悩が湧き上がってきます。とても無になんてなれないけれど、はたしてお坊さんたちは、無になれるのだろうか。
羽賀住職の答えは意外でした。「私たち僧侶も、そもそも『坐禅を通じて無になれ』なんて教わったことはありませんよ」と。
そして、何が煩悩を生み出すのかを、食欲をたとえに分かりやすく説明してくださいました。
「たとえば坐禅中に『お腹が空いたな』といった雑念が湧いてくるのは、人間として当然のことです。大事なのは、浮かんできた思いを追いかけないことです。『お腹が空いたな』で止まればいいのですが、「ビールを飲みたいな」「焼肉を食べたいな」と、その想いを追いかけだすと、それが煩悩になっていきます。浮かんできた雑念をそのまま受け流す。ただ姿勢を整え、深い呼吸へと意識を戻していく。それだけでいいんです」

取材中、一言ひとことを丁寧に選びながら語る羽賀住職。その穏やかな語り口が、終始なごやかな雰囲気を作ってくれました。
そして、もうひとつの問い。「坐禅をすることで、何がもたらされるのですか?」
これに対して羽賀住職は「何ももたらされなくてもいい」と答えます。
「私は、坐禅会に来て下さる方に対して『何も求めなくてもいい』『何も得られなくてもいい』『何も持ち帰らなくていい』とお伝えしています。現代社会を生きる私たちは、常に効率や成果を求められますよね。『何かをすれば、何かが得られる』というロジックが、実は私たちの心や体を縛っているのはではないでしょうか」
そのことばに、思わずハッとさせられました。「何かを求めるからこそ、人は苦しくなる」と説くお釈迦さまの教えの本質がつながっていくのを感じます。
「ここに坐って、何にもならない時間を過ごしてもらえればいい。理想とするところはあるものの、それを求めようとする力みが返って坐禅の邪魔になります。他者や社会によって形作られた自分ではなく、ただ坐っているいのち、ただ坐っている自分に向き合ってほしいです」
いみじくもそのことばは、受験という他者との競争、進学や就職という社会が押し付けてくる価値観に苦しんでいたかつての羽賀青年に向けられるもののように思えます。19歳の時の苦悩と救いの体験を携えて、羽賀住職は、今日もお寺の門戸を開きます。
「お寺の門をくぐると、誰もが平等になれます。普段の仕事や生活の中でさまざまな役割や肩書を求められますが、それらを脱ぎ去ることだってできます。ありのままの自分と仏さまと向き合える。何者にも捉われない立ち戻る場所があるというのは、日々を生きていく上で大きな救いになるのではないでしょうか」

安養寺の坐禅会の様子(画像:本人提供)
お寺は地域の歯車。1000年先へつなぐ新しい試み
入寺から3年半経ったころに結婚をし、いまは奥様と二人三脚でお寺と地域をつなぐ取り組みにいそしんでいます。
「お寺がどんなにがんばっても、住職一代で終わってしまっては意味がありません。安養寺は1000年以上にわたって地域と共に歩んできた場所です。だからこそ、地域の人々の生活に、ごく自然な歯車として組み込まれるようなお寺でありたいですね」
古くから続いていたものの、過疎化や人手不足によって途絶えてしまった地域の「観音講」や「地蔵盆」。こうした伝統行事も、お檀家さんと羽賀住職で意見を出し合いながら、現代に見合う、無理のない形で復活させていきました。

毎月18日の「月例観音講」。かつて自宅で行っていた行事をお寺の本堂で引き受けることで各家の負担を減らし、途絶えかけていた地域行事を無理なく継続しています。(画像:本人提供)

夏の風物詩として復活した「地蔵盆」。村中にある「弁慶地蔵」で営まれる。(画像:本人提供)
一方で、新しく引っ越してきた方と地域の交流の場を作ろうと始まった「お寺マルシェ」は大盛況。回覧板や口コミだけで約400人もの人が境内に集まり、笑顔があふれる一日となりました。
安養寺の坐禅会。よくある質問Q&A
最後に、
「安養寺の坐禅会に参加してみたい」
「だけどはじめてだから少し怖くてドキドキする」
……そんなあなたのために、坐禅会にまつわる質問を住職に投げかけてみました。
Q どんな服装で行けばいいですか?
決まりはありませんが、足を締め付けるような窮屈なズボンやスカートなど、また過度なアクセサリーや強めの香水などはお控えください。
Q 何か持って行くべき道具や持ち物はありますか?
特に坐禅経験者の方は、道場ごとの指導にしたがう素直な心をご持参ください。
Q 坐禅会の費用はいくらになりますか?
安養寺の場合、普段の坐禅会は無料です。ただし、「半日坐禅会」は500円、「一日坐禅会」は1000円の浄財をお願いしております。
Q 身体が硬いのですが、足が組めなくても大丈夫ですか?
大丈夫です。皆さまそれぞれの身体に合わせて指導しますし、椅子を使った坐禅も選べます。
Q 足は痛みますか? 我慢できなくなったらどうしたらいいですか?
慣れない内は痛むと思います。その際は坐禅中に静かに足を組みかえたりなどすることも可能です。
Q 「警策」で肩を叩かれるのが怖いのですが…
基本的には希望された(坐禅中に合掌する)方のみ叩きます。あまりに眠りこけている方は住職の判断で叩くこともありますが、もしどうしても怖い場合は始めにお伝えください。
Q 継続して通わないといけませんか?
坐禅は習慣化することが大切な修行です。5分でも10分でもご自宅で呼吸と姿勢を調えてみてください。家では難しいという方は他の道場の坐禅会に足を運ぶことも良いかと思います。

2037年には創建1300年という大きな節目を迎える安養寺は、檀家の方、そうでない方、すべての方に向けて、その門戸を開いています。
縁あってこの記事にたどり着いたあなた。もしも、日々の忙しさに追われ、自分を見失いそうになっているのであれば、ぜひ安養寺の坐禅会へ足を運んでいただきたいです。
歴史が息づくお堂で静かに呼吸を調えるとき、きっとあなたも「ただそこにある自分」に出会えるはずです。
▶寺院情報
曹洞宗 西來山 安養寺
住所:兵庫県姫路市別所町別所649
本尊:阿弥陀如来
行事:朝課(毎朝の読経)・坐禅会・写経会など
▶安養寺公式WEBサイトはこちらから
▶安養寺公式Instagramはこちらから



