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仏徳讃嘆の舞台の幕開け|真宗文化研究会30周年記念『舞楽と聲明の調べ』【当日レポート編】

2千人収容の大ホールが
この日ばかりは
仏さまの空間にさま変わり。
それをもたらしたのは
厳かな声明と雅楽の音色と
仏さまに捧げられる華麗な舞。
2025年3月30日
アクリエひめじで開催された
真宗文化研究会による
「舞楽と聲明の調べ」
こころね取材班は現地に駆け付け
5年ぶりの晴れの舞台と
お坊さんたちが奔走する舞台裏を
たっぷりとレポートします。
伝統文化がつむぐお念仏の教え。
その、かけがえのない一日を
たくさんの写真の記録とともに
どうぞ、ご覧ください。
すべては手作りで――舞台裏の静かな熱気
2025年3月30日、いよいよ本番当日。
晴天に恵まれた日曜日の朝、真宗文化研究会のメンバーたちは、亀山本徳寺(姫路市)に集合しました。時刻は午前8時。まだ肌寒さの残る時間帯です。
いつもの練習場が、今朝だけは“出陣前”の緊張感に包まれていました。
搬出するのは、ステージ上に掲げられる御本尊の掛け軸、雅楽の楽器、装束や仮面、受付・会場案内の道具に至るまで。
そう。この公演は、演者だけでなく、舞台設営・広報・運営のすべてが手作り。有志によるチームワークで成り立つ一大プロジェクトなのです。
9時過ぎ、搬入車とともにアクリエひめじに到着すると、舞台設営が始まります。
舞台には「地布」と呼ばれる緑色の布を張り、四隅に勾欄を配置。音響のリハーサルと並行して、仏具の設え、衣装の準備、楽器の調律、照明の確認。約2千席にもおよぶ座席に、来場者へ配布する冊子をひとつずつ並べていきます。
開場2時間前。そこに焦りはなく、むしろ一人ひとりがこの舞台を創る“演者”であることを誇らしく思っている、そんな空気が漂っていました。
午前9時。搬入口から会場内に入る会員たち。早速準備にとりかかる。
本山・西本願寺から借りてきたご本尊の掛軸。本公演の中心となるものだけに、丁寧に開き、慎重に位置を確認しながら吊るしていく。
雅楽の楽器や仏具などを、慎重に箱から出していく。
舞台作り。地布(緑色の布)が、舞人の色鮮やかな衣装を引き立てる。
限られた時間の中で、舞台監督との打ち合わせ。緊張感が走る。
楽人や舞人の動き、音響、照明などを綿密に確認する。
約2千席がほぼ完売。1階席、2階席、3階席の順に、自分たちの手で冊子を並べていく。
表紙デザインは大谷昭智さん(姫路市・本徳寺)の手による。秀逸なデザインが目を引く。
受付まわりの打ち合わせや準備も同時並行で行われ、来場者の迎え入れに万全の体制を整える。
リハーサル、そして最終確認
会員たちは、本番直前のリハーサルに真剣な眼差しで臨みます。
講師の髙橋昭人さん(大阪府・善宗寺)の檄に耳を澄ませ、素人には聞き分けられないほどの細かなズレを丹念に調整していきます。
1460日、積み重ねてきた努力。その集大成となる、最後のリハーサルです。
第一部の聲明法要を、通しでリハーサル。
舞台監督と僧侶、それぞれに指示を出す赤松香菜さん(たつの市・政源寺)。
『催馬楽』の句頭(冒頭の独唱)を務める秦大蔵さん(姫路市・教念寺)。静かに、厳かに、舞台の空気が引き締まる。
本番に向けて見事に仕上げてきた会員たちを讃えつつも、妥協を許さない髙橋先生。
子どもたちも笑顔を見せてはいるものの、小さな手足に、緊張がそっとにじみます。
この日、扁桃腺を腫らし、発熱したまま本番に臨む池本理史くん。さらに同じ最年少の山本柚葵さんは、大舞台の空気に思わず涙がこぼれます。
信じられるのは、これまでともに一生懸命に練習を積み重ねてきた仲間たち。お互いの存在が心強い支えです。
『迦陵頻』のリハーサルに臨む最年長の福田千紘さん。
井上英翔くん。年下の子たちを背に、前列にふさわしい落ち着きと意気込みを感じさせる。
楽屋では、お母さんと一緒にメイクと着付けが進められる。
化粧の仕上げはおでこに描く2つの黒い点。「位星」や「殿上眉」などと呼ばれる。
出番が近づくごとに、緊張を抑えきれなくなる。
開場の12時30分まで、時間が許す限りの最終調整。大人たちの引き締まった表情と、子どもたちの緊張感に満ちた面持ちが交差する中、リハーサル終了。
緞帳が下がり、舞台はつかの間の静寂に包まれます。1時間後に迫った開演に備え、息を整えるひと時です。
『蘭陵王』を演じる武昂真さん(神戸市・善福寺)。本番前日まで必死の稽古を重ねてきた。
武さんの舞指導をしてきた深田敏弘さん(大阪府・永福寺)も舞台袖から見守る。
「いざ、出陣」――舞台に立つ覚悟と歓び
開場とともに、日本各地からの来場者がぞくぞくとアクリエひめじに詰めかけます。
開演10分前には、場内は満堂となり、静かな期待に満ちた空気が会場を包んでいました。
楽屋から舞台袖に向かうメンバーたち。多くの方々の支えと、積み重ねた日々への感謝。
そして、なにより「自分たちの音を、舞を、仏さまに捧げたい」という一心を胸に舞台に臨み、緞帳の上がるその時を待ちます。
「南無阿弥陀仏」の名号が掲げられたこの日のアクリエひめじのステージ。「仏徳讃嘆の舞台」の幕開けです。
開場とともに、続々と観客が集まってくる。
冊子や華葩に用いられた蘭陵王と迦陵頻のイラストが来場者を迎え入れる。題字は八木顕宣さん(姫路市・最勝寺)による。
4台の動画撮影と、3人の写真撮影班。記録体制も万全。
開演15分前。アクリエひめじ大ホールが満堂となる。
リハーサル終了から開演までわずか1時間。楽屋では僧侶たちが所狭しと着替え、準備を整える。
衣装の最終チェックを受け、いよいよ舞台袖に進む。
司会の福田景子さん(高砂市・西蓮寺)のアナウンスにより、いよいよ本公演が幕を上げる。
「遠く宿縁を慶べ」――緞帳が上がる瞬間
午後1時30分。ついに「舞楽と聲明の調べ。」が幕を開けます。一幕は”聲明”です。
緞帳が上がると、舞台奥に掲げられた掛軸の親鸞聖人のお姿が、やわらかな照明に照らされて、鳳笙の音色の美しさに、会場全体が息をのみます。
冒頭を飾るのは、親鸞聖人のおことば「遠く宿縁を慶べ」。
思いがけず仏さまの教えに出会えたよろこびを、来場者ひとりひとりが心に感じる開幕です。
このたびの法要では、2023(令和5)年に制定された『新制 御本典作法』が勤修されました。配布された冊子を手に、会場全体から『教行信証』のことばが唱和され、お念仏の教えが、たしかに広がっていくのを感じます。
登壇した結衆の僧侶たちが舞台の上をゆっくりと進み、独特の節回しで声明をあげる。その手からは、蓮の華を模した色とりどりの「華把」が舞台上にまかれ、厳かな中にも、まばゆい華やかさが広がります。
その背後からは、鳳笙・篳篥・龍笛の音色が重なり合う雅楽の響き。まさに、聴く・観る・感じる、すべての音と声が溶け合い、仏さまの世界を五感で味わう時間。
会場全体が阿弥陀仏の慈悲に、そっと包まれていくようでした。
美しい鳳笙の音色とともに、第一部の声明法要が始まる。
親鸞聖人とともに照明に照らされる廣田元さん(岡山市・教徳寺)。『教行信証』の「総序-宿縁」を称える。「遠く宿縁を慶べ」は、まさにこの公演がすべての人にとっての良縁となることを期待する、幕開けにふさわしい親鸞聖人のおことば。
結衆が出揃い、厳かな雰囲気の中、法要が始まる。
舞台上では、僧侶たちが規律正しい動きを取りながら、聲明を響かせる。
『教行信証』は、浄土真宗の根幹となるお経。親鸞聖人の思想や教えが凝縮されている。
客席からの読経が合唱となり、場内全体がもの悲しさとあたたかさが溶け合う、真宗ならではの慈悲の空気に包まれた。
僧侶たちの手から一斉に華葩が放たれ、盛り上がりは頂点を見せる。
雅楽とともに響く声―催馬楽「更衣」と「恩徳讃」
休憩をはさんで、二幕は”謡物”からスタートです。
雅楽には…
・雅楽(管弦楽だけ)
・謡物(雅楽と謡)
・舞楽(雅楽と舞)
…の3種類があると、髙橋先生は話します。
謡物の中でも「催馬楽」は各地の民謡や和歌を雅楽風に編曲したもので、この日披露されたのは『更衣』です。
雅やかな楽器の音色が広がり、まもなく句頭(第一歌手)を務める秦大蔵さんの独唱と笏拍子、そして他の歌手の斉唱が重なり、幻想的で厳かな音の世界が、場内をゆっくりと満たしていきました。
そしてこの日は、『更衣』の曲調にあわせた『恩徳讃』も披露されることに。
『恩徳讃』とは親鸞聖人が作られた真宗門徒ならだれもが知る和讃。いつもと異なった雰囲気に、客席から自然とやわらかな笑顔がこぼれるようでした。
幕間に行われた髙橋先生による解説。『更衣』には、季節に合わせた衣服に取り換えることと、女性が男性にきれいな衣服を通じてアピールしているという、二重の意味があることを話す。
謡物では、斉唱と同時に(上段左から)龍笛、篳篥、鳳笙、(下段左から)楽筝、楽琵琶、鞨鼓が入る。鳳笙は和音ではなく、1音または2音で旋律を奏でる「1本吹き」が特徴。
スポットライトの中から浮かび上がる句頭の秦さん。
笏拍子を打ちながら独唱し、その後、他の歌手の斉唱が加わる。
2編目は『更衣』の調べに乗せられる『恩徳讃』。楽器と声の美しいハーモニーで奏でられる普段とは違う趣きの『恩徳讃』に会場全体が息をのむ。
子どもたちに向けられたこの日一番の歓声
後半は、いよいよ舞楽の幕が開きます。
朱色の装束に身を包んだ子どもたちが舞台袖から現れると、この日いちばんの大きな歓声が場内に響き渡りました。
大観衆を前に、先頭を舞う福田千紘さんと井上英翔くんの足さばきは堂々たるもの。積み重ねてきた練習の成果を舞台の上で咲かせます。
続く池本心音さん、理史さん、山本柚葵さんも、先を行くふたりの背中に励まされ、すくみそうになりつつもしっかりとした足取りで舞台を進みます。
発熱、緊張、そして年長者としての責任感。それぞれが押しつぶされそうな思いを乗り越え、かわいらしくも凛とした舞を披露します。
舞台袖ではお母さんたちが祈るような面持ちで見守り、舞台上ではお父さんたちがわが子の晴れ舞台を案じつつ、心静かに雅楽の音を奏でます。
最後まで立派に舞い終え、左手の袖へと退場していく子どもたち。その瞬間、会場はふたたび大きな拍手に包まれ、感動の熱気に満ちあふれたのでした。
楽屋から舞台袖までの通路を進む子どもたち。いよいよ本番。
舞台袖から見える大観衆に心臓が飛び出しそうになるのをグッと抑えて、いよいよ本番。
迦陵頻伽たちの登場。先頭を行く福田千紘さん。後方では父・智成さんが見守る(前列左側)。
前列に立つ井上英翔くん。落ち着いた表情でせり上がる客席を見上げる。
最年少の池本理史くん。小さな体で、発熱に打ち克つ大きな一歩を踏み出す。
同じく最年少の山本柚葵さん。プレッシャーに打ち勝ち、胴拍子をかわいらしく叩く。
池本心音さん。全員の登壇を見届けて、最後に舞台中央へ。
舞台上に並んだ5人に、この日一番の歓声が送られる。
ご本尊を背に、凛としたまなざしを向ける福田千紘さん。
両手をしっかり広げて、迦陵頻伽となってはばたく子どもたち。
大人たちの美しい雅楽の演奏を背に、子どもたちは一生懸命に舞を披露する。山本柚葵さんは親子3世代の共演。叔父の洸英さんが鉦鼓を、祖父の英信さん(画面左隅)が龍笛を吹く。
約10分の舞。大役を成し遂げた子どもたちに、割れんばかりの喝采が送られた。
父に捧げる舞『蘭陵王』
そしてこの日の最後のステージは、勇ましい武将『蘭陵王』を舞う武昂真さんです。
本番1週間前、リハーサルを終えた武さんは、蘭陵王の衣装と仮面を自坊へ持ち帰り、さらなる稽古に打ち込みました。
この日、会場には神戸から母と妹が駆けつけ、その晴れ姿を静かに見守ります。
仮面をつければ視野は狭まり、足元の地布は滑りやすい。そんな厳しい条件のなかでも、武さんの舞からは、並々ならぬ鍛錬の跡と、自信がみなぎる気迫が感じられました。
何度も稽古をつけてきた深田敏弘さんは、舞台袖からそのひとつひとつの所作を見守り、「うん」「大丈夫」とうなずきながら、武さんの成長を温かく見届けます。
右手を高く天へ伸ばし、仰ぎ見る。まるで、亡き父に捧げるかのような決めの瞬間、舞は頂点を迎えます。
千年の時を超えて受け継がれてきた日本古来の舞が、2千人の胸を打つ、武さんによる圧巻のフィナーレとなりました。
龍笛の調べとともに、『蘭陵王』の舞が始まる
スモークの中から蘭陵王として登場する武昂真さん
武勇と美貌で知られる蘭陵王のごとく、美しい雅楽の調べと、武さんの力強い舞に、会場全体が息をのむ。
決めの瞬間、スポットライトを一身に浴びる武さんに盛大な喝采が送られる。
約15分の演目を舞いきった武さん。面を外し、達成感と安堵感をみなぎらせる。
世代を超える慶びをかみしめて
今年、真宗文化研究会は活動30周年を迎えられました。
そしてこの日は、聲明や雅楽といった伝統が、世代を超えて受け継がれていくことの慶びを、改めて実感する一日となりました。
本公演では、親子三代が同じ舞台に立つという貴重な場面もありました。こうした世代間の承継の積み重ねこそが、親鸞聖人のご生誕850年、さらにはお釈迦さまのご誕生から2500年という歴史を紡いできたのだと、胸が熱くなります。
私たち一人ひとりの人生は、永い歴史の中では、夢幻のように儚いものかもしれません。けれども、その一瞬一瞬を燃やすように生き、力を尽くしてきた先人たちの積み重ねが、永い伝統となって今に受け継がれて、未来に続いていくのです。
この日、全身全霊で聲明を唱え、雅楽を奏で、舞台をしっかりと踏みしめて舞われた真宗文化研究会のみなさんは、まさに歴史の継承者でした。その晴れの舞台を、心から讃えたいと思います。
素心はこれからも、お念仏のみ教えがより多くの人々に広まり、真宗文化研究会の歩みがいっそう実りあるものとなるよう、お念じ申し上げます。
合掌 南無阿弥陀仏
