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2021.06.19

インドの暮しで身についた「縁」を受け入れる生き方-日印往来14年の僧侶・清水良将さんに訊く(後編)

インドの暮しで身についた「縁」を受け入れる生き方-日印往来14年の僧侶・清水良将さんに訊く(後編)

仏教発祥の地・インド。
聖地ブッダガヤに日本人が建てたお寺
仏心寺があります。

時に礼拝の場として、
時に巡礼者の宿として、
さらには子どもや貧困の支援の場として、
人の行き来の絶えない仏心寺。
清水良将さんが管理を任されて14年。

何が良将さんをインドに向かわせ、
その目で何を見てきたのでしょうか。

後編では、ご自身のお話だけでなく、
世界の仏教の潮流、
そして、人がこの世界を幸せに生きるための、
心のありようについて話してくださいました。

インドに来た理由が、本当に分からない。

― 生まれは福井県だそうですね。

はい。本当に、田舎の中の田舎のお寺。次男坊として生まれました。

― お坊さんになると決めていたのですか?

お坊さんになるのが当たり前だと思ってましたから、ならないという選択肢がなかったです。ただ、住職である父には「好きなことをやれ」と言われてました。

― 実際に好きなことをされたのですか?

京都の大学に進学したのですが、そうですね…。結構好き勝手やってましたね。バイクが好きで、よく山の中を走りました。大学の入学式は髪の毛をオレンジ色にしました。

― !!

そのあとも、シルバー以外の色はほとんどしました。赤、青、ピンク、緑。他人からはバイクがうるさくて「走るパチンコ屋」って言われてましたね。

― キャッチコピーが秀逸です。

違う大学生たちとも遊んだし、社会人、モデル、経営者、いろんな人たちと仲良くしました。誰もが知る有名大学の講義が自分の大学の講義よりも楽しくて、モグリで参加してました。

― 刺激の多い生活を謳歌するものの、そちらの道へは進まなかったのですね。

はい。楽しいけど何かが違うなと思ってました。ずっと続けることではないなと。そして大学を卒業して、父が住職をしている神戸のこのお寺に僧侶として戻ってきて約1年経ったある日ですね。「インドに行こう」と。

― ほお。それはどうしてですか?

よく訊かれるのですが、これが本当に分からない。

― 分からない⁉

本当に自分でもいまだに分からないんです。悟りを開きたいとか、貧困を救いたいとか、全くなかったです。

― そもそもインドの仏心寺とはどういう場所なのですか?

2001年に日本人が集まって作ったインドのお寺です。巡礼者の宿、自己探求の場、さらには現地のボランティア活動も行っています。インド政府よりトラスト(公益慈善信託)許可を得て建立されており、そのメンバーの一人が私の父だったのです。

― なるほど。

すでに何度かインドの仏心寺には訪問していたんです。高校一年生の時は落慶法要にも参加しました。もちろん父に強制されたわけではありません。

― それで、なぜだか分からないけど「インドに行こう」と。

はい。はじめは3か月間だけの滞在でしたが、初めての海外渡航ですし、英語もできない。そんな状態からスタートしました。今振り返っても「インドに行く」と口にした理由がわからないのですが、でもこれが「縁」なんだと思います。

インド・ブッダガヤにある仏心寺(画像提供:清水良将さん)

仏心寺のご本尊(画像提供:清水良将さん)

仏心寺本堂にて。後方中央で合掌する良将さん(画像提供:清水良将さん)

縁に生きる

― インドと日本を行き来して14年。インドでの生活は楽しいですか?

そうですね。やりがいがあります。

― 毎年半分をインドで、半分を日本で過ごされている。ご家族は?

妻と、4人の子どもがいます。10月から3月は父親がいない状態ですね。

― どうしてその期間なのですか?

巡礼のシーズンなんです。一年の中でも過ごしやすい時期に当たります。

― じゃあ、その間は奥様にもお子様にも会えないですね。

クリスマスもお正月も一緒に過ごしたことがありません。

― 今年はコロナ禍でインドに行けてないんですよね?

はい。はじめて家族全員でお正月を過ごしました。

― 喜びも格別では?

うーん。まあこんなもんかなと(笑)

― 泰然自若感がすごいですね。

基本的には、すべて縁だと思っています。いいとか悪いとかで考えるとね、どうしても偏りが出てしまうんです。

― 嬉しいとか、さみしいとかも?

そうです。そういう考え方は対立軸を生んでしまう。好きなものを考えちゃうと、やっぱりその反対の「嫌い」が生まれてしまうんです。

― なるほど。

インドに行くことも好きか嫌いかを考えず、「行けるときは行けってことなんだろう」と考えていました。もちろん、ただ行って終わりではなく、インドでのご縁、そこでの役割や自分がすべきことに対して精いっぱい務めるようにしています。はじめから大きな目標を掲げていないから、10年以上も続けて往復できているのだと思います。

― 新型コロナウイルスが起きたことも、家族と一緒にいられることも、縁ですか?

そうですね。「いつまでインドに行くんですか?」とよく訊かれますが、「行けなくなるまで行きます」と答えています。すると本当に渡航できない状況になった。これにはビックリしましたが、まあ、これもこういうもんかなと。

― その「縁」という考え方は子どもの頃から良将さんの中にあったのですか?

いえいえ、そんなことはありません。ただ父からは「なぜこの親から生まれたのか、なぜお寺に生まれたのか、その意味を考えろ」とよく言われていました。このことばは大きかったですね。

― 自分にめぐる縁を受け入れろと。

はい。そういうもんなんだろうなあと。ただ、その考え方が身についたのはインドに行ってからでしょうね。

― お父様が仏心寺の建立に携わったのも、その息子として良将さんが生まれたのも、良将さんがインドと日本を往来するのも、すべては縁なのですね。

はい。

 

日本とインドの仏教の違い

― 日本とインドで、仏教の違いはありますか?

一概にインドに限りませんが、世界の仏教の潮流の中で、日本は少し立ち位置が違います。独特です。

― ガラパゴス的ですか?

そうですね。日本では僧侶も世俗的な生活をしてますよね。妻帯して、お酒を飲んで、娯楽を楽しんで。海外ではそんなことはありません。僧侶は尊敬の目で見られるのが基本です。

― なるほど。

そのかわり、娯楽や自由が享受できないので、インドでも僧侶になりたがっている人は減っていますね。これはベトナムやタイやブータンなど、世界的に観られる傾向です。

― そうですか。

とはいえ、海外にはやはり篤信な方が多いですね。たとえば、台湾の信者さんに空港でお布施として札束をいただいたことがあります。はじめは恐縮したのですが、「ありがとう」と言って受け取ったら、「あなたがありがとうと言うな」と言われました。

― え? なぜですか?

「あなたがいるから私はお布施ができるんだ」こういう考え方なんです。

― へえー。

お布施の感覚が、最近の日本のお布施の感覚と全然違います。はじめは驚きましたがこれがごく自然なんです。僧侶はしっかりとお金を受け取り、ごはんも好き嫌いせず頂く。

ブッダガヤで毎年行われる法要。大規模に催されるが、すべて信者のお布施で賄われる(画像提供:清水良将さん)

― なぜ海外の仏教徒はお布施にためらいがないのでしょうか?

徳を積むためですよ。六波羅蜜(悟りを開くための6つの修行)の一番はじめが「布施」です。仏教徒がしなければならない当たり前のことです。「なぜ」という疑問すらありません。

― ほお。

タイの仏教徒の方は「徳を積むために布施をする。そのためにはまずは感謝しないといけない」と話してました。誰への感謝だと思いますか?

― 誰への? うーん、仏さま、ですか?

前世の自分、に対してなんです。

― おおお!

日本だったら「親に感謝」とよく言われますが、輪廻転生が大前提の仏教ではよい来世を迎えるために、前世に感謝し、来世の自分のために、今世で徳を積む。つまり、よりよい行いをします。お布施にためらいがないのは、このような考え方だからです。

菩提樹のもとに集う人々(画像提供:清水良将さん)

― お話を聞いていると、同じ仏教でもインドと日本で来世観が違うような気がします。インドでは輪廻転生。前世、今世、来世と生まれ変わり、その輪廻からの解脱を目指している。

そうですね。

― 日本人でそこまで来世を信じている人がいるかどうか…。その代わりに日本人は先祖から子孫へのつながりを大切にしますよね。

― はい。

仏教は本来は出家主義のはずなのに、日本では家を出るどころか、家族のつながりがとても大切にされている。

そうかもしれないですね。

― そのへんの違いを、良将さんはどのように見られますか?

インド人だけでなく、どの国の人たちも自分たちの両親や先祖を大切にします。これは当然で当たり前のことです。ただし、仏教はそこで終わらない。親や先祖との縁でこの世界に生まれてきたけれど、来世のために徳を積むんだという仏教者としての生き方があります。

― なるほど。良将さん自身はそれぞれの仏教に挟まれて、しんどくはないですか?

それはないですね。向こうは向こう、こっちはこっちという感じで、それぞれ刺激を受けています。

祈りを捧げるタイの信者グループ(画像提供:清水良将さん)

みんながブレている時代だからこそ、ブレない背中を見せる

― YouTube配信に込める想いのようなものはありますか?

日本ではコロナ禍あたりからお坊さんのオンラインでの配信が盛んになりましたが、インドをはじめ、海外では当たり前のようにお坊さんがYouTube配信していますし、国を超えてメールで悩み相談を受けたりもしていますよ。だから、当たり前のことをしている感覚です。

― インドの日常を配信するチャンネルとは別に、読経のライブ配信もしています。

毎日同じ時間に同じことをするというのは、体にも心にも、とってもよいことです。「ああ、今日も一日を終えることができて、18時を迎えられたな」とホッとしてもらう。たとえば、行きつけのお店の雰囲気やそこの店主にホッとする感じでしょうか。一日の疲れを癒してもらう場所として、毎日18時から読経を配信しています。

― きらびやかな荘厳、低くおごそかに響く良将さんの声。癒されます。

ストレス解消や安心感につながれば嬉しいですね。幸せに生きるためには人生の芯みたいなものが必要で、それを作り出すには、積み重ねや習慣化がとても大切です。習慣化のお手伝いになればとも、思います。

読経のライブ配信では、キヤノンの一眼レフカメラとMacbookが使われる。背面に貼ってあるのはヒンドゥー教の神様。

― 法話でなく読経。そにこだわる理由は?

昔から続けられてきたお経を毎日唱える大切さを体感してほしいですね。お坊さんの法話や信者さんとの対話ももちろん大切ですが、言葉で言われて、頭で分かっても、なかなかできないってことありますよね。だから毎日の読経配信を通じて、その教えを「腑」に落とす、そして習慣化していくことが大切なんです。

―「腑に落ちる」を体感することが大切なんですね。

そうです。修行時代、指導の先生に「言葉でお説教するのではなく、背中で説教をしなさい」と言われたことがあります。しっかりと座り、しっかりとお経を毎日唱える。そのうしろ姿を見てもらうことも、一つの法話なんです。

―「父の背中」「背中で語る」 なんて言いますもんね。

まさにそんな感じです。さまざまなことがブレている時代。その不安定な時代を生きるためには、生きる芯となる仏教の教えが必要です。資本主義、インバウンド経済、オリンピック。予想していた近未来がコロナによってガラガラ崩れる。そんな不確かな世界をともに生きていくために、一僧侶の私ができることは、背中で仏教を伝えることだと思い、毎日の読経のライブを配信しています。

YouTube『りょーしょー お寺 チャンネル / Ryosho Temple』

― ありがとうございます。最後に、素心のお客さまや読者の方々に、先行きの見えない社会を、どのような心持で、どのような生活を実践したらいいか、一言いただけますか?

仏壇やお墓は亡き人との対話の場所。いろんなことを考えるきっかけになります。仏教では、まず人間に生まれたことに感謝します。これを受け止められなければどの教えも受け止められないからです。両親や先祖がいて自分がいる。まず自分がここにいることに感謝しましょう。それが幸せへの第一歩です。

― 今日は本当に、ありがとうございました。

僧侶と信者の祈り(画像提供:清水良将さん)

清水良将さんが手掛けるYouTube動画は2つあります。

▶インドの日常を垣間見る「りょーしょーチャンネル」はこちらから。インドの生の生活を垣間見れます。

▶毎日夕方6時からお経を配信する「りょーしょーお寺チャンネル」はこちらから。良将さんの心地よくも重厚感あるお経の響きが、一日の疲れを癒してくれます。

▶良将さんが活動するインド仏心寺はこちらから。

▶神戸市安養寺はこちらから。

▶良将さんTwitterはこちらから。

▶良将さんが一眼レフ撮影した写真のポートフォリオ。とっても素敵です。こちらから。


構成・文 玉川将人
撮影 西内一志

 

 

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