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福島の子を受け入れ続けて10年−600km離れた田舎寺の震災支援(前編)
「東日本大震災から10年」と聞いて
あなたは何を感じますか?
兵庫県に住むわたしは
震災とどう向き合うべきか分からない
というのが本音です。
「他人ごと」とは正面切って言えないけれど
「自分ごと」と言えばウソになる
そんなわたしが果たして
震災なんて取り上げていいのだろうか。
あれこれ悩みながら
いろんな人に電話していたところ
そのうちのひとりの方が
「市川町のお寺さんが
10年間ずっと被災者支援を続けていますよ」
と、教えてくれました。
兵庫県市川町。
真宗大谷派光円寺。
福島第1原発から600km離れた田舎寺で
後藤由美子さんは
なにを想い、なにを考えて
福島県の子どもたちを
受け入れ続けているのだろうか。
電話から10分後。
そんなことを考えながらわたしは
播但自動車道を北に車を走らせていたのです。
光円寺に到着したのが午後4時。突然の訪問にも関わらず、こちらの想いに耳を傾け、嫌な顔をせずに取材を快諾して下さった。インタビューはその2日後に行われた。
保養を通じて心身ともに元気になってもらう
光円寺僧侶 後藤由美子さん
ー 光円寺では、毎年福島の子どもたちを受け入れているとのこと。どういった経緯で始まった取り組みなのですか?
「保養※」というのは、放射能汚染のない地域で子どもたちを受け入れることです。のびのびとした環境で、心身ともに元気になってもらうことを目的としています。
ー それはすばらしい取り組みですね。
2011年に真宗大谷派の本山や全国の寺院が「お寺にとまろう」という名の保養活動に取り組みました。光円寺も所属する真宗大谷派山陽教区も活動に積極的で、以降光円寺では毎年春、夏、冬休みに福島県の子どもたちを受け入れてます。
ー 具体的にどんなことをして過ごすのですか?
主催者によって取り組みはさまざまです。ここでは地元のデモクラスティックスクール「まっくろくろすけ」の卒業生たちが手伝ってくれました。
ー デモクラスティックスクール?
子どもたちの自主性を育てるアメリカ発祥の学校が市川町にあるんです。スクールのカリキュラムや会計などもすべて生徒たちが主体的に運営します。そんな学校を出た卒業生たちと福島の子どもたちとが一緒にプログラムを作り上げました。
ー なるほど。
なにか特別なことをするのではなく、空気のきれいな場所に身を移して「暮らし」をテーマに過ごしてもらいました。食事や掃除などもすべて自分たちでする。近くの山や川にで遊んだり、囲炉裏を使ってお好み焼きを作ったりもしましたね。中には被ばくの影響で体調のよくない子もいたので、無理をさせないように気を配りました。
ー 保養にきた子どもたちはどんな感想を口にしていましたか?
ここだと外で遊んでも放射能汚染の心配がないですから「のびのびと過ごせてよかった」と言ってくれました。保護者のお母さんたちも、子どもたちを神経質に見張らなくてもいいことに安堵した様子でした。「福島では外で遊ぼうとする子どもたちに怒ってばかりいたけれど、野外で普通に遊べることがこんなにもありがたいことだなんて」と、涙を流す人もいましたね。
ー ここを離れるのが寂しい、というような声もありましたか?
そうですね。福島に帰ることの不安を漏らす子、それでも福島に帰りたい子。共同生活が楽しかった子、大変だった子。本当にさまざまです。みんなそれぞれ複雑な思いだったでしょうね。
保養活動の様子(画像提供:光円寺 後藤由美子さん)
原発事故が生んだもうひとつの苦悩「人の分断」
ー 保養は福島の子どもたちを心身ともに元気づける素晴らしい取り組みですが、受け入れる方も大変では?
カンパやボランティアを募るには活動への理解がいるのですが、震災から時間が経つほどに理解を得づらくなっている側面は否めません。それでも、山陽教区による保養活動はずっと行われているんですよ。
─ そうなんですね。
ただ、いまは新型コロナウイルスもあって保養活動ができていません。加えて、保養をめぐっては送り出す側にも複雑な事情があります。
ー 複雑な事情、ですか?
はい。福島の災害復興や原発問題に関して、国や行政は復興したと強調します。避難解除をして住民たちに帰宅してもらうことで、福島がもう安全な場所なんだとアピールできるからです。こうした人たちからすると、放射能汚染を避けるための保養活動は復興の妨げでもあるのです。
ー なるほど。
放射能に対しても、同じ福島の人同士、家族同士でも、受け止め方がぜんぜん違う。原発がいるいらない。放射能がこわいこわくない。こうした考え方の違いが、分断や差別を生んでいるということは、実はあまり知られていないでしょ。
ー はい。知らなかったです。
「これは、光円寺の保養活動を体験してから、福島から市川町に移住した母娘が出版したものです」と、一冊の本を差し出してくれた後藤さん。その中にはこう書かれていました。
祖父は家庭菜園をしていて、そこで採れた野菜を私に食べさせたかったのです。しかし、母は私に測定をしていないものを食べさせたくないという思いがあります。そんな行き違いから喧嘩が増え、家族に溝が入ったようでした。祖父はどうしても私に食べさせたいので、「食べちまえばわからないから」と言って、私の口に詰め込んできたりもしました。
そのような対立も自主避難に至ったきっかけのひとつです。どちらの言い分も分かるけど、家族なのに対立をしてしまうのはやはり悲しいです。(渥美藍・大関美紀『ありのままの自分で』)
ー 地震も津波も放射能も苦しいというのに、その上、人の分断が起こってるんですね。
このお母さんは、娘さんの健康のために、仕方なしに両親を置いて福島を離れた。そしてご主人とも離婚された。原発によって家族や暮らしがぐちゃぐちゃにされたんです。
ー 苦しい、ですね。
復興が済んだとなると、国はその地域にお金をかけなくて済む。避難解除って聞こえはいいけど、それは支援の打ち切りをも意味しますからね。その場に居続ける人、離れる人、両方ともが苦しんでいます。
後藤さんも一文を寄せた『ありのままの自分で』。地震や原発に苦しみながらも前向きに生きていく親子の姿が描かれる。
命に手を合わすような生き方が大事
ー 後藤さんは、基金も立ち上げられていますよね。
はい。「リボーン」という一般社団法人を設立しました。長崎の原爆に被災された方が私たちの活動を知って、私財を投じて下さったのです。この貴重なお金を被災者の移住支援に使わせて頂こうと、移住費用の助成と生活費の無利子貸与をしています。
ー さきほどのデモクラスティックスクールの立ち上げにも携わったと聞きました。そして障害者福祉法人の理事長もされているのだとか。
そうですね。
ー 僧侶でありながら、社会活動への取り組みが積極的です。何が後藤さんをそこまで突き動かしているのですか?
「社会活動」と言うのは大げさです。ただそう呼ぶ方が理解されやすいですね。本当は、自分のまわりの困っている人に、何かできることはないかなって、やってるだけなんですよ。
ー はい。
そしてそれが自分のためになるからこそ、やってるんです。
ー 他人のためは自分のため、ですか。まさに「自利利他」ですね。
おっしゃる通りです。わたしたちは浄土真宗ですが、阿弥陀仏というのはご本尊の命そのもの。その命に手を合わすような生き方が大事なんです。だから、社会貢献とかではなく、信仰や信心から活動しています。
ー 後藤さんはお寺で生まれ育ったんですか?
いいえ。在家です。名古屋のサラリーマンの平凡な核家族世帯に生まれ育ちました。
インタビュー中ずっと「ゆみこさん、あそぼあそぼ」となついていたお孫さん。「子どもたちのためにも誰もが暮らしやすい社会にしていかないと」と後藤さん。
もともとは一般家庭に生まれたいわゆる「普通の子」だった後藤さん。何が彼女を仏の道へと進ませたのでしょうか。
後編ではご自身のお話を、息苦しかったという学生時代から現在までを振り返っていただきました。この世界を地獄とし、「この地獄に生きる覚悟が大切だ」と語る後藤さんの本懐をお届けいたします。
※「保養」支援は、2012年に制定された「原発事故子ども・被災者支援法」の考え方に基づいて行われています。いまでも高いニーズがある一方で、国の予算が削減されるなど、公的な支援は十分ではなく、民間で細々と実施しているのが実情です。
(参考サイト:KOKOCARA「安心して話せる、遊べる場所が欲しい」 今も必要とされる「保養」の継続を求める親たちの願い」)
※市川町のデモクラスティックスクール「まっくろくろすけ」。公式HPはコチラから。
※渥美藍さんと大関美紀さんが出版された『ありのままの自分で』は、せせらぎ出版より販売中。お買い求めはコチラから。Amazonからのご購入はコチラから。
構成・文・撮影 玉川将人